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公開日:2019年10月4日 更新日:2025年2月7日
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令和7年4月26日(土曜日)リニューアルオープン決定! |
現在の足立区の原型は、江戸東京という大都市の東郊となったことから始まります。
東郊とは、江戸東京の都心部から広がる近郊地域を東西に分けて、東側の近郊という意味で、現在の足立区、葛飾区、江戸川区とその周辺を示しています。東郊は丘陵の多い西郊に比べて、大河川の下流域にあたる平坦な地域であることが特徴です。このような東郊の特徴が、現在の足立区の発展や生活や文化を形づくっています。
東郊の範囲
郷土博物館では、東郊の近代的な発展をご覧いただける展示と資料を常設しています。また、見て触れて遊べる博物館を目指しています。ご来場を心よりお待ちしています。
農家と耕地の模型
江戸に幕府が開かれると、未開地域が多かった東郊の開発が急激に進み、用水が整備され、水田を中心とした耕地のなかに集落が点在する光景が作りあげられました。
肥溜め模型
江戸東京という大消費地を背景に、換金性の高い生鮮野菜や生花の栽培といった近郊農村という地の利を生かした農業が発達しました。また、肥料として都市から出される下肥を豊富に使うことができました。
問屋の店先に並べられた野菜(模型)
東郊の生産物の流通の拠点となったのは千住市場です。やっちゃ場といわれた青物市場の問屋の店先には、近在の農家の出荷した野菜が並べられました。
博物館の資料を使って、さまざまな学習のできるコーナーです。
どなたでも、楽しく利用できます。
浮世絵検索画面
区画整理模型
戦後の人口急増は、水田の広がる農地であった東郊に、区画整理や団地建設といった大きな開発をもたらせました。道路や上下水道などの生活基盤が整い、商店街や学校といった施設も作られ、伝統的な農村的集落とは異なる新しいまちが誕生しました。
市街地の拡大とともに東京東郊に工業が広がりました。昭和初期の工業は、家の中で家族が行うような小規模な製造業が多く、多くの業種が集まる東京東部の地の利を活かし、昭和時代を代表する産業の一つになっていきました。
工芸品から、機械の部品、玩具や文房具などの生活用品、紙袋などの消耗品、菓子などの食品まで家の仕事として行われ、なかには有力な輸出品となったものもあります。
人口急増に対して東京都が供給した住宅には、勤め人のほか、住宅を仕事場とする職人も入居しました。また、主婦は内職をする人が多く、近隣の工場の仕事を請け負うなど、地域の産業に溶け込み、新しい住民は、新しいくらしぶりを創り出しました。
復元都住(外観)
復元都住(台所)
五色桜の彩色絵はがき
東郊は都市の人々を迎える観光地として賑わいました。また、年中行事や祭礼を彩る縁起物の生産地を行うなど広く江戸東京の文化を創り上げる役割をしていました。
江戸時代の終わりからの漉き返し紙、窯業、染物などの基盤となった東郊は水利や広い土地、舟運の便利にめぐまれ、東京の工場地帯として発達した。そのため、太平洋戦争では、米軍の空襲目標ともなりました。戦後、人口増加とともに工場での勤め人も増えていきます。しかし、宅地化が進んだことなどにより、工場は郊外へ移転し、大型化するなどの変化も起こりました。
瓦づくり
お化け煙突模型
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