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公開日:2021年1月12日 更新日:2023年9月16日
■足立区登録有形民俗文化財〈昭和57年12月10日登録〉
■小台2ー47ー1 【地図】(外部サイトへリンク)
■公開(見学の際は、マナーを必ず守ってください)
荒川の土手下に七基並んで立っている庚申塔は、もともとは別の場所にありました。現在、その場所は荒川の底に沈んでいます。
荒川は、岩淵水門(北区)より下流は水害対策のため大正初期に掘削された人工河川(荒川放水路)です。そのため、流路予定地となった宮城は70戸の内49戸が立ち退きを余儀なくされ、ここに立っていた庚申塔も荒川の底に沈む予定でした。七基の内、三基に「宮城村」と刻まれています。
しかし、宮城在住の下川亀蔵氏は、庚申塔が失われることを惜しんで現在地に移転させ、失われるはずの庚申塔を守ったのです。下川氏も立ち退きを迫られた住民の一人でした。
七基の庚申塔は、承応3年(1654)から元文元年(1736)の間に造立されたものですが、足立区の近代史を伝える文化財でもあるのです。
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