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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日

荒川放水路の建設


荒川放水路工事の様子

 

 

荒川放水路(現荒川)は明治43(1910)年に東京を襲った大水害を契機に開削された人口の河川です。

 

当時の南足立郡江北村・西新井村(昭和3(1928)年町制施行)・千住町・綾瀬村の一部が放水路用地となり、大正元(1912)年から翌年にかけて買収が行なわれました。多くの人びとが移転を余儀なくされ、先祖伝来の地を離れるにあたり惜別の情を刻んだ石碑(感旧碑・かんきゅうひ、元宿神社)も残されています。

開削工事は大正2(1913)年2月から買収の終わった土地から開始されました。大正12(1923)年には岩淵水門(いわぶちすいもん)が竣工し、同年9月には西新井村の桜堤(熊谷堤・くまがやつつみ)を切り開き、放水路の一部通水が行われました。翌年の10月12日には当時の関係閣僚出席の上、通水式が行われ一応放水路は完成しました。その後も浚渫(しゅんせつ)・堤防・護岸工事が進められ、全ての工事が完了したのは昭和5(1930)年のことです。

放水路の建設によって陸路が断たれ不便を解消するために足立区域では千住新橋・西新井橋・江北橋が架けられました。放水路の完成により水害の危険は低くなり、広い河川敷は災害時の避難場所となるなど大切な場所になっています。


荒川改修工事平面図


昭和7(1932)年の西新井橋

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