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公開日:2018年6月7日 更新日:2020年8月4日
繊細にして優美。木彫刻家の佐藤岩慶さんは主に寺社や個人宅に収める仏像を手がけています。
同じ不動明王を彫っても仏師の個性というのか、やはり性格が出るものです。私の作品は娘の顔に似ていて優しい顔だと言われることがありますが、自分ではちっとも気がつかないものですよ。ただ、私の作品とご縁がある方が幸せになるようにと願いを込めて彫り続けてきました。仏像は信仰の対象、心のよりどころとなるものですから、人々を受け止める大きな優しさのようなものがなければと思います。そのためには雑念を払い、彫りに集中すること。心の勉強が何よりも大事です。
私は9人兄弟の6番目。当然のように奉公に出ました。中学しか出ていなかったので国語や数学といった勉強よりも、人として成長するための勉強ができなかったと思っていました。生きるとはどういうことなのか?働くとは?といった疑問を幼いながらも抱いていた子どもでしたから、もっとメンタル面の勉強をしたいと働きながら高校にも通いましたね。木彫の仕事を始めたのは親戚が木彫の工房を営んでいたからでしたが、そうした自身の心の探求が、仏像を彫るときの心構えと自然な形で結びついたのです。
整頓が行き届いた作業場で、今日も制作は続く
約100種類ほどの彫刻刀を使い分け、作品は完成する
そんなに仕事場がきれいですか?驚かれるほどではないと思いますが、乱雑な場所で仕事をしていると心まで乱れてくるものです。毎朝神仏に礼拝し、心を静めてから仕事にかかるようにしていますが、これも多くの仏師がそうしていると思います。何も特別なことではないんですよ。
これまで50年以上仕事を続けてきましたが、このまま続けていてもどうにもならないと思えるくらい仕事がなくなった時期もありました。えぇ、バブル崩壊後のことです。職人でいて何が1番辛いってどんなに制作したいという意欲があっても仕事の依頼がなく、制作できないこと。つまり社会に認められないことです。でも、そんな混迷していた時にちょうど娘に子どもができまして、孫の世話をしていると自然と気持ちが楽になりました。家族の支えがあってこそです。今は依頼されたものだけでなく、足立区の伝統工芸展などで展示できるよう作品づくりにも励んでいますが、彫るということはどんなにやってもキリがなく、もっと彫りたい、もっと彫りたいという気持ちがあふれてきます。まだまだ修行が足りません。100歳くらいまでやれば円熟した仕事ができるんじゃあないでしょうか。
(文:吉川麻子撮影:蓑輪政之)
6世紀の仏教伝来とともに始まったといわれる木彫刻。平安時代から鎌倉時代に多くの仏像が彫られましたが、室町時代に入ると仏像に代わって、社殿や寺院の柱・欄間などに装飾を施す建築彫刻が発達していきます。もともと大工が手がけていた建築彫刻が、江戸時代に分業化され今日に至ります。建築物から家具、生活小道具なの用途はさまざまです。
佐藤岩慶さん
1938年福島県生まれ。本名強士。15歳で東京都台東区にある佐藤工房に入門。1972年にサトー彫刻として独立。仏像をはじめ社寺の装飾品や日常品なども制作。東京都伝統工芸士。
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