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公開日:2018年2月9日 更新日:2018年2月9日
鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の叔父である志太義広(よしひろ)(後に頼朝に敵対して敗れる)が梅田南部に祈願所(現 明王院(みょうおういん)〈通称 赤不動〉)を建てました。その後、子孫の久広(ひさひろ)が姓を梅田と改めたことから、この地域を梅田と呼ぶようになったといわれています(「新編武蔵風土記(しんぺんむさしふどき)」より)。
明王院(梅田4丁目15番30号)所蔵の「木造如意輪観世音菩薩坐像(もくぞうにょいりんかんぜおんぼさつざぞう)」(東京都指定有形文化財)
鎌倉時代のはじめ、常陸国(ひたちのくに)(現 茨城県)の武家・多気義幹(たけ(き)よしもと)は陰謀にあって失脚し、鎌倉から常陸に帰る途中(現 足立区付近)で亡くなりました。埋葬は側近であった島根という名の家臣らが行い、この家臣が住んだところを島根というようになったといわれています(「吾妻鑑要目集成(あづまかがみようもくしゅうせい)」より)。
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