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公開日:2017年11月9日 更新日:2017年11月9日
かつての弘道は多くの村の土地が入り組み複雑だったため、1966(昭和41)年の住居表示の実施の際、地域に馴染みがあった「弘道小学校」の「弘道」が地名として選ばれました。
弘道小学校は江戸時代にできた水戸藩の藩校・弘道館(茨城県水戸市)と関係が深かったことから、その精神を引き継ぎ「勉強を通して人間としてよい生き方を身につけ、多くの人に伝えていってほしい」という願いで名付けられました。
また弘道館は中国の孔子の教えである「論語」衛霊公(えいれいこう)篇の「子日人能“弘道”非道弘人(子曰わく、人能く道を弘む。道、人を弘むに非ざるなり)」を参考に名付けられました。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の父で、水戸藩主でもあった徳川斉昭(とくがわなりあき)が設立した弘道館(茨城県水戸市)は当時の著名な藩校のひとつでした。足立区では、幕末維新に活躍し、弘道館とゆかりの深い山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(江戸無血開城に大きな役割を果たした)と親交があり、弘道館の影響を受けていた中村宗右衛門(なかむらそうえもん)が綾瀬村の寺子屋で学問を教えていたと言われています。1878(明治11)年に小学校の開校が決まり、寺子屋は廃校となりましたが、宗右衛門の人望が厚かったことから「弘道」が校名となり、1966(昭和41)年に地名にもなったと伝えられています。
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