ホーム > 文化・スポーツ > 足立区立郷土博物館トップページ > 展示|足立区立郷土博物館 > 過去の企画展|足立区立郷土博物館 > 平成29年度文化遺産調査企画展「高橋廣湖-千住に愛された日本画家-」
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公開日:2017年10月11日 更新日:2025年12月5日

会期 2017(平成29)年10月3日から12月10日
江戸時代後期より、華やかな美術文芸の文化を根付かせてきた足立。明治時代、この地の人々との交流に支えられ、中央画壇で活躍したのが日本画家の高橋廣湖(たかはしこうこ、1875年から1912年)でした。
現在の熊本県山鹿市に生まれ、後に日本画家、松本楓湖(まつもとふうこ)の画塾に入門して腕を磨いた廣湖は、巽画会(たつみがかい)や紅児会(こうじかい)など、当時続々と結成された日本画団体で活躍し、安田靫彦(やすだゆきひこ)や今村紫紅(いまむらしこう)らと共に明治の美術界を盛り上げました。明治45年(大正元年、1912年)、37歳の若さで惜しくもこの世を去りますが、その実力は美術界の重鎮、岡倉天心にも認められ、明治画壇に確かな足跡を残しました。
浅草、下谷、湯島と移り住んだ廣湖は、いつの頃からか千住の地と人に親しみ、千住の人々もまた支援団体「芳廣会(ほうこうかい)」を結成して、廣湖の活動を支えていたことが明らかになっています。廣湖の没時に開催された遺墨展ではこの芳廣会から多くの作品が出展されているほか、区内に伝来した作品の数々は廣湖とこの地の人々との親交の深さを物語っています。
平成27年、高橋廣湖のご遺族のご協力により、同家に伝来した作品・資料を調査する機会をいただき、その一部が郷土博物館に収蔵されることとなりました。本展覧会では、それによって新たに確認された作品・資料と、区内に伝来した廣湖作品を中心に、千住に愛された夭逝の俊才画家、高橋廣湖の画業を紹介しました。
関連イベント
「夭折の俊才、高橋廣湖 -画壇への挑戦、千住との絆-」 小林優(当館専門員)
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