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公開日:2020年6月1日 更新日:2021年1月5日

紙本着色性翁寺縁起絵(しほんちゃくしょくしょうおうじえんぎえ)一面

■足立区登録有形文化財(絵画)〈平成24年2月27日登録〉
■性翁寺(扇2-19-3) 【地図】(外部サイトへリンク)
■非公開 
※毎年10月から11月にかけて開催される東京都主催「東京文化財ウィーク」期間中、1日だけ特別公開されます。例年公開日が変わりますので、詳しくは文化財係にお問い合わせください。

縁起絵
性翁寺は、寺伝によれば神亀3年(726)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が開基し、明応元年(1492)に正誉龍呑上人が開山したといいます。
性翁寺は、宮城宰相の娘足立姫の悲劇にまつわる六阿弥陀伝説ゆかりの寺で、この縁起絵は六阿弥陀伝説を檀家にわかりやすく説明するために作られたものです。縦に三紙を貼りついでおり、右幅上から下へ、次に中幅上から下へ、最後に左幅上から下へと縁起物語の各段の図が配置されています。

縁起絵の内容は、次のようなものです。

足立姫と豊島左衛門尉(北区の領主)が婚礼し、婚家と不仲になった足立姫が十二人の侍女と荒川(現隅田川)へ入水します。足立姫の父である宮城宰相は、十二人の侍女の亡骸を荒川から引き上げましたが、姫の亡骸は見つかりませんでした。宮城宰相は、墓石を立てて、供養のため諸国霊場巡礼の旅に出ます。そして、紀州熊野権現(和歌山県)へたどり着きました。宮城宰相は熊野権現から霊木を授かり、霊木を熊野灘に流します。宮城宰相が紀州を出て邸宅へ帰ると、流した霊木が現在の熊野木付近(足立区江北)で引き上げられていました。宮城宰相はたまたま付近に来ていた行基菩薩を邸宅に招き、行基菩薩に霊木を使って仏を彫るよう依頼します。行基菩薩は、熊野権現の助けを借りて一夜の内に、六体の阿弥陀如来と余った霊木からさらにもう一体の阿弥陀如来を彫りあげました。宮城宰相夫婦は行基菩薩に足立姫の形見の菩提樹で作られた数珠を差し出し、行基菩薩がその数珠を埋葬供養して姫の葬儀をしました。宮城宰相は姫の墓所横へ草庵を建て、木余り如来を安置し、姫の菩提を追善しました。

なお、性翁寺には六阿弥陀伝説にちなむ文化財が他にもあります。
1、東京都指定有形文化財 阿弥陀如来坐像一躯(昭和46年3月29日指定)
2、足立区登録有形文化財 性翁寺文書一点
3、足立区登録有形文化財 (永禄13・1570年銘)阿弥陀三尊種子板碑一基

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