ホーム > 文化・スポーツ > 足立区立郷土博物館トップページ > 足立を学ぶ|足立区立郷土博物館 > 六阿弥陀伝説
ここから本文です。
公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日
足立姫の墓
昔、足立庄司宮城宰相という名家の娘・足立姫が豊島左衛門尉清光という豪家に嫁ぎました。しかし、姫は引出物が粗末とそしりを受け、里帰りの際に12人の侍女たちとともに、荒川(今の隅田川)に身を投げて命を絶ってしまいました。侍女たちの遺体はすぐ見つかりましたが、姫の遺骸はついに見つかりませんでした。
父・宮城宰相は、悲しみのあまり、諸国霊場巡りに出発しました。紀伊国熊野権現で1本の霊木を得て、それを熊野灘へ流すと、やがて国元の熊野木という所に流れ着きました。折りしも諸国行脚中の行基が通りかかり、宮城宰相が霊木のことを話すと、行基は一夜で六体の阿弥陀仏を彫り上げました。さらに、余り木からもう一体造り、それを姫の遺影としました。
これらの阿弥陀仏は後に、六阿弥陀として近隣の寺院にまつられ、女人成仏の阿弥陀としてあがめられたといいます。
お問い合わせ