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公開日:2025年8月25日 更新日:2025年8月25日
足立区は「小さな世界平和」がたくさんあるまち
印象力を上げるインプレッショントレーナー®として活躍する美有姫/重田みゆきさんは足立区竹の塚在住。亜細亜大学経営学部教授でありながら、テレビタレントとして「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ)などに出演、TikTokの独特のモテ仕草が人気を集める。足立区は住みやすいと力説するみゆきさんの、波乱万丈な人生と、「足立区に住むワケ」を聞いた。
大学教授でありながらタレント、TikToker(ティックトッカー)としてもご活躍の美有姫さん。写真は、2024年、国連開発計画(UNDP)にてスペシャルゲストとして海外招聘された時のひとコマ
足立区に暮らし始めたのは2009年のことです。
両親が鉄工所を営んでいた草加市で幼少期から育ち、客室乗務員時代も、子どもが中学生になるまで草加市に住んでいたので、昔から竹ノ塚駅を使っていました。子どものころにはガラが悪い印象もありましたが、普段からなじみがある地域ですし、治安に関しても、よく知った上で大丈夫だとわかっていたので、竹の塚に住むことにしました。子育ても、両親の介護も足立区にお世話になりました。自分の撮影スタジオも竹の塚にあるので、TikTokの撮影も竹の塚ですることが多いですし、少人数のセミナーなども全国から竹の塚に来ていただいています。
最近、駅が変わりましたね。今の竹ノ塚駅はむしろおしゃれになっちゃって、中目黒っぽいですよね(笑)。
オンライン研修もたくさんこなしてきた竹の塚のスタジオで取材させていただいた。さまざまな撮影機材が揃っていた
足立区に住み始めたときに強烈に驚いたことがあるんです。足立区役所に転居届を出しに行ったときに、区役所の皆さんの対応が良すぎて、ほんとにびっくりしたんですよ。委託で入っている会社の人まで良くて、今まで「役所」というものに対して誤解してた、と反省しました。うろうろしてると、番号チケットを取って渡してくださったり、書類を書くのに悩んでいたらそばへ来て声をかけてくださったり、「ここホテル?」と思うほど。引っ越してきて良かった、って一番最初に思ったのはそれですね。海外へ行くときのワクチン証明書もすぐやってくださったし、驚いちゃって、全国の自治体の研修に行くたびに話してるんです。「足立区に勉強に来た方がいいですよ」って。
まちのために働いている人がそんな素晴らしい対応をされるということは、来ている人たちの心がハッピーになるから、きっといいまちなんだろうって、最初に思ったのが区役所でした。
今感じていることは、足立区は「小さな世界平和がたくさんあるまち」だということです。世界平和というとみんな遠いと感じるけれど、隣の人と顔を見合わせて笑うと相手の人は笑いますよね。そしたらそこに小っちゃい世界平和が生まれて、またそこに来た人が笑うと、小さな世界平和がもうひとつ生まれる。それがどんどんどんどん大きくなっていったらいつか本当に世界平和を実現できるんじゃないかって思ってるんです。だから私は、インプレッショントレーニングを通して「小っちゃい世界平和」をつくりましょうってお伝えしてるんですけど、その小っちゃい世界平和が足立区は多いなって感じてます。
竹の塚のとある歩道橋で。どこか懐かしい風景と満開の桜が絵のようだった
郵便局員さんが、ポストに手紙を入れようとして手間取っているおばあちゃんの手から直接手紙を受け取っている姿とか。ドレッドヘアで個性的なファッションで、毎日竹の塚のごみ拾いをしている男性の方がいるんですが、雨の日も雪の日も毎日ごみ拾いしていて、すごいなあって思います。こういう方がいるから、高齢者が多くても、危なくないんだなあって思います。
よく通るという竹の塚のまちかどでパチリ
私、小さい頃からどちらかというと太ってたんです。高校生のときのあだ名は「ハムちゃん」。ボンレスハムの「ハム」で。見た目はずっとコンプレックスのかたまりでした。
小さい頃はアイドル歌手になりたかったのですが、父に「父ちゃんから見てもお前は歌はうまいけど、見た目は中の下の下なんだから、難しいよ」って言われ続けてたんですね。うちは、埼玉県草加市で鉄工所をやっていまして、父親とはとても仲良かったんですけど。
それでアイドルはあきらめて、大学時代はスキーばかりやっていたのですが、たまたま越後湯沢のスキー場のインストラクターのアルバイトで一緒になった女の子が「スチュワーデス(客室乗務員)になりたい」って言うので「きれいでスタイルいいからぴったりね」って言ったら「何言ってるの。スチュワーデスは英語ができて、笑顔で重い荷物を棚の上に上げられればいいんだから、みゆきちゃんみたいな人がなれるのよ」って言われて真に受けて、そのまま新幹線に乗って上野に行って駅前のデパートで「スチュワーデスさんみたいな服ください」って言ったら「すみません、お客様に合うサイズがありません」って。当時、15号サイズが入らなかったんです。
それでその足でアメ横でローラーブレード(※)とサウナスーツを3着買って、それまで通学で使っていたバスと電車をやめてローラーブレードで大学に通って、試験までの5か月半で17キロダイエット、笑顔のトレーニングや立ち居振舞いの練習をしたんです。そうしたら学食で、みんながふり返って椅子を譲ってくれるようになったんです。そんな経験は初めてだったのでとても驚きました。
※ローラーブレード : ローラースケートの一種で車輪が一列に並んだもの。1980 年代後半から 90 年代前半ごろ流行した
私、昔から性格はいいんですよ(笑)。本当に明るいし、いい人だし、正義の味方だし、学級委員長やって、児童会長やって。でも、この経験を通して、性格の良さが全く表に出てなかったんだなってわかったんです。
国際線の客室乗務員をやるようになってからも、同様の経験をしました。私とペアを組んでたのがミス神戸にもなった方だった人で、3列の座席の通路を2人で歩いて接客するのですが、まん中の列の人は私じゃなくてミス神戸から接客を受けたいんです。それに気づいて、まだまだ立ち居振舞いが私は磨かれていないんだなと痛いほど気づかされました。でもそのときに、人を見る観察力が見事に養われちゃったんです。
客室乗務員時代のみゆきさん
JALの国際線に約5年乗務したのですが、卵巣嚢腫という病におかされ、仕事をやめて手術しましたが、2人の子どもを授かることができました。しかし、ある日部屋の中でひとり、子どもを左と右に抱えて、窓の外に降る雪を見てたら涙が出て来て。限界を超えていたことにやっと気づき「そうだ、離婚しよう」って思ったんです。
両親のもとへ帰りましたが、子どもたちが小さいので、外に出られず内職をたくさんしました。手先が器用なので、造花やブローチをつくるなど、すごくうまいんですけど、1ケ月に2~3万円にしかならない。食べていけないんです。
あるとき私の作った造花が、デパートで2万円で販売されてるのを見つけたんです。私が1個作っても200円にしかならないのに100倍になるんだと気づいて、自分で営業始めたんです。近所のパン屋さんに行って「おじさん、この壁、少し寂しくないですか?」とか言ってみたり(笑)、仲良かった客室乗務員の先輩の家に行って「こういうのあると、おしゃれな玄関になりますよ」なんて言ってるうちに、生活できるようになって。客室乗務員で学んだ接客力を生かして接客営業力がついちゃったんです。
それでも、子どもたちの幼稚園費も給食代もかかるので、両親に子どもたちをお願いしてもう一度、JALウェイズという会社で働き始めました。ですが、今度は契約社員でしたので、月に20日働いても生活できない。それでお休みの10日間、専門学校の先生の副業をさせてもらうことにしました。
語学学校のエアライン科で、接客法などを教え、航空会社の面接に合格させるという特別講師の仕事でした。それまでその学校では2年連続合格率0%だったのですが、私が教えるようになって97%になり、全国から生徒が集まるカリスマ講師になっちゃったんです。
ようやく親元を出て、アパート暮らしができるようになりましたが、忙しすぎて、フライトの帰りに制服のまま授業参観に行くほどだったので、ママ友たちや近所の皆さんが頑張ってることをわかってくれて、「うちで見ててあげるよ」って子どもたちを預かってくれて。だから休みのときには鍋いっぱいのスープやカレーを作って、みんなにふるまってたら、じゃがいもとか野菜とかを持ってきてくれるようになって、食費がゼロになっちゃったんですよ。本当に貧しかったんですが、すごく心の豊かな生活をしていました。
そんなとき、アメリカで9.11が起きたんですね。私はJALウェイズの客室乗務員としてちょうどハワイにいて、しばらく日本に帰れなかったんです。子どもたちがものすごく心配して、「生きて帰って来たんだったら、もう飛行機には乗らないでほしい」と懇願されて、このとき仕事をやめました。
そして東京駅前の丸ノ内ホテルに就職し、訳あってパートタイマーになってしまいましたが、自分で申し出てホテル玄関まわりの掃除をしていたんですね。東京駅前を一生懸命掃除しながら「あと2週間でリニューアルオープンです!」と声をあげてたんです。1週間くらいすると、黒塗りのハイヤーが窓を開けて「お姉ちゃん、元気だね。毎朝驚いちゃうよ、その強烈な笑顔(笑)」なんて話しかけられるようになったんです。
そうやって話しかけてくれる方たちが、新聞社の社長や大臣たちだと知ったのは後のことでしたが、そのお客様方の声で、VIP限定のメンバースクラブラウンジのマネージャーを務めるようになって、このお客様方を接客するようになりました。1年半後には社長室を立ち上げて社長室 室長になりました。
丸ノ内ホテル時代のみゆきさん
皆さんがテレビでお話しされるのを見て、ラウンジで、「大臣、なんかテレビ写り悪いですね。実物の方がいいし、リアルに話してるときの方がいいこと言っていらっしゃるし。だけどテレビを通して観ていると、印象で損をして国民に厳しい評価をされてしまっているのがわかるなぁ…」とか言っちゃうんですよ(笑)。最初カンカンに怒られるんですけど、私がそのビフォア&アフターをその場でやって見せるんですよ。「テレビに出るときは、このカメラに向かって肘ついて、胸板見せて、顎あげて、こうやって座っていたら、コマーシャル開けに絶対抜いて(写して)くれます」って伝えたら、翌日の討論番組のコマーシャル開け、その人しか写らなかったんです。
ほかの社長たちも驚いちゃって、次の株主総会はどうしたらいいのかとか、みんなが質問に来るようになりましたが、お金をとるわけにはいかないので、その場でアドバイスするだけ。噂が噂を呼んで、皆さんがお越しになるのでラウンジの売上が1年半後に100倍になっちゃったんです。「君の笑顔とか、勇気をもって何でも言うところとか、昔の日本人のような、すごい根性を感じる」と言われて、会社のマナートレーニングを頼まれることもありました。
社長や大臣の立ち居振る舞いについて習ったことはないのですが、客室乗務員時代、当時のJALの新人はファーストクラスの接客からだったんです。ファーストクラスにいらっしゃるお客さまの立ち居振る舞いと、接客している客室乗務員の先輩のトップクラスの立ち居振る舞いをすごく若いうちに見せてもらっていたので、自分がラウンジを担当するようになったときに、飛行機のファーストクラスのような場所にしたいなって思ったんです。
そんなときに父が癌になったんですね。当時、すごく働いてて、今では考えられないほど24時間体制で、寝泊まりもして働いていたので、こんな生活では父のそばにいられないと思ってホテルをやめました。
そして今度は父と一緒にまちの掃除を始めたんです。そうしたらまちの皆さんが、「きれいになったね」「きれいにしてくれてありがとう」って声をかけてくださって。そうしたら、病気で沈みがちだった父が笑うようになったんです。そのうち、明石家さんまさんの番組を見て、げらげら笑うようになったんです。たくさん声に出して笑うと、NK細胞が動き出して病原菌やがん細胞を消滅させるって言われてますけど、父が手術前の最後の検査に行ったら腎臓からも肝臓からも癌が本当に消えていたんです。そのときから、私は人を笑わせたいと思うようになりました。
ホテル時代に出会って声をかけられ、一緒に会社を設立した石神(現・株式会社エムスノージャパン代表)と開発した、笑顔になる「インプレッショントレーニング®(印象研修)」を父に伝授して、70歳で癌で医者にもうだめだといわれた父は、げらげら笑い続け、2024年89歳で昼寝するように亡くなりました。しかも愛する母とたった数日違いで一緒に天国に行きました。
足立区に家を買ったのもホテル時代です。父のことがあって仕事をやめると心に決めたとき、退職する2か月くらい前でしょうか、ホテルに届いた新聞に挟まっていたチラシを朝見て、昼休みに電車に乗って「すみません、家ください」って言って、間取り図だけ見て「オッケーです、明日買いに来ます」って言って、翌日の昼休みにハンコ持って買いに行きました。家の営業の方は仰天していました(笑)。
家は買ったのですが、子どもたちが友だちと離れたくないと言って、実際に住むようになったのは次女(SORA さん)が小学校を卒業して中学校に上がるときなんですけどね。足立区内の中学校に入りました。両親も一緒に足立区に暮らし始め、終盤はふたりとも要介護5で、父は伊興の介護施設にもお世話になりました。そして、足立区に来た2009年から私の人生は大きく動き始めました。
2008 年に初めて書いた本「人は0.5秒で選ばれる!チャンスが20倍増える、印象力の磨き方」(ダイヤモンド社)があるテレビのディレクターの目にとまって、2009年の12月27日放送の「エチカの鏡」(フジテレビ)に出演することになりました。そのとき就任したばかりのオバマ米大統領が「印象戦略を重視している」とアメリカのメディアで話題になったことで、その大統領の来日に合わせて、日本初のインプレッショントレーナー「印象の専門家」としてその特集に出演させてもらったんです。
その番組で、私が続けていたMKタクシーの印象U P研修の様子を撮影に来てくれたのですが、それがあいにくの台風の日だったんです。その状況下でも私はいつも通りと思い、強風でザーザー降りの雨の中、雨の音に負けない大きな声で「幸せだから笑うなんてナンセンス。幸せになるために笑うんです!」と叫んだのを、年末、仕事終わりの全国の社長さんたちが家のテレビで観てくださっていた。お正月が明けたら世界が変わっていました。「うちの会社も幸せにしてくれ」っていう電話の嵐で、以来、年間 250 回の講演に奔走するようになりました。
「エチカの鏡」のディレクターが「ホンマでっか!?TV」のディレクターと知り合いだったことから「ホンマでっか!?TV」にも印象評論家、印象行動学者として出演するようになりました。
スタジオ近くの竹北公園はみゆきさんのお気に入りの公園。取材日、桜が満開だった。TikTokはこの公園で撮影したものも多いそう
コロナ禍で講演もリアルな授業もできなくなったとき、それまでどちらかといえば敬遠していたTikTokを真剣にやってみようという気持ちになって、最高級の一眼レフカメラで撮って、それまで公開していなかったインプレッショントレーニング®︎を小分けにして面白おかしく編集してアップしたのですが、なかなか見てくれないんです。そんなある日、事務所のカメラマンがスマホをいじってたら、突然バグっちゃって。私の顔がキューって小顔になって、「何これ~」とか言って大笑いしてるので、見せてもらったら「かわいい~」ってなって、アップしたら、すごいたくさんの人が見てくれて、初めて100万回再生となりました。
「私、男もできるわ」って言って男バージョンでアップしたら、1時間ほどで 100万回再生いっちゃったんです。そして800万回再生になって。その後、大学に行く日があったのですが、みんなが「先生、見ました」って言ってくれて、ふだん絶対しゃべってくれないような生真面目な教職員さんまで「見てますよ」って喜んでくれたのがうれしくて、本格的にやりはじめました。中国から仕事の話があったときも、「やるならTikTokがやりたい」と話して、中国版TikTok「抖音(ドウイン)」を始めたら、1投稿だけで約7,000万回再生、200万以上のいいね!と57万件のコメントが入ったこともあります。
ネイリスト、スタイリストとしても活躍する次女のキューティシャン®︎SORAさんが当日のスタイリングをしてくれた
仲良し親子は、撮影中も笑いが絶えず
私が住んでいる竹の塚は、中国の方も多いので、私が近所でTikTokの撮影をしてアップしたらコメント欄に「竹の塚!」って書いてくださり話題になって。竹の塚で外食に行くことも多いのですが、中国の方が経営するお店に行くと、途中から私とわかると、餃子がたくさん出てきたりすることも(笑)。特に竹の塚の中国の方は、ホットで優しい方が多い印象ですね。
中国で人気があるおかげで、2024年には中国四川省成都市で開催された国連開発計画(UNDP)によるカンファレンス「Re:Think2024」に、日本から唯一のスペシャルゲストとして招待され、講演を行いました。「中小企業の日」の講演だったのですが、たったひとりの力で世界に影響を与えた女性として呼んでいただきました。話し始めた途端に観客の方々が撮影とスタンディングオベーションで、「本当に笑顔は心をひとつにするんだ」と感動して泣きそうでした。
TikTokで人気の「モテ仕草」は竹北公園のこのベンチの場所で撮影したものも多い
竹北公園の同じ場所で撮影したTikTokの1シーン。美有姫エフェクトがSNSで人気の「イケてるメンズ」モードで
足立区ってスカイツリーがあるとか東京タワーがあるとか渋谷スカイがあるとか自慢できる大きなものはないけど、小さな世界平和がたくさん目にできるところだなって住んでて思うから。いやな思いをしたことはないし。すごくおしゃれな人は少ないというのも思いますけど、人を気負わせないというか親しみやすいというか。たぶん私、もう引っ越さないですね。
逆に、中途半端なまちより「足立区」って言った方が有名なのでいいです(笑)。私が足立区在住ってこと、皆さんけっこう知ってます。港区か世田谷区かと思ってましたとか言われるんですけど、「足立区、住みやすいですよ~」って言ってます。
私って、大学教授っていう意味では文化人なんですけど、TikTokなどでお笑い(?)もやってて面白いから、ちょうどお笑いの大御所出身地でもある「足立区っぽい」というイメージにあってますよね? 足立区はお財布の中身の心配をしているときでさえ、救う神のような有難いお店もたくさんあって、小さな世界平和で愛があふれています! 足立区って、私っぽいって胸を張って思います。今でもスーパーの10円つめ放題とかに並んで、ムキになってつめてますよ(笑)。
「足立区っぽい」って言葉がいいイメージで使われるようになったらいいですね!
インプレッションマスター®︎、亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科教授(専門分野:印象行動学)。東京都 荒川区出身。獨協大学卒業後、JAL 国際線キャビンアテンダントとなるが、病気で退職。子育てをしながら、JALウェイズ、丸ノ内ホテル社長室室長兼VIPラウンジマネージャーを務め、日本初インプレッショントレーナー®︎としてメディアデビュー。2009 年に足立区に転居し、現在も竹の塚に在住。テレビタレントとして、フジテレビ系列「ホンマでっか!?T V」などに出演するほか、TikTokフォロワー数 55万人、中国版 SNS(douyin)で1投稿で 7,000万回視聴と中国でも圧倒的な人気を誇る。みやぎ観光 PR 大使、いしのまき観光大使も務める。場面に応じ、美有姫/重田みゆきの2つの名前を使い分けている。
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