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公開日:2018年3月23日 更新日:2018年3月23日

~足立大好きインタビュー~ プロ野球選手 秋吉亮さん

東京ヤクルトスワローズ所属・ピッチャー。2017年WBC(ワールドベースボールクラシック)に出場、日本代表として活躍した。
足立区に生まれ、扇小学校、江北中学校、都立足立新田高校と、地元をベースに育ちながら、めきめきと実力をあげ夢をかなえた秋吉選手。
一見不利と思える状況をプラスに好転させてきた力はなんだったのか。
家族を持った今も足立区に暮らし、荒川土手でトレーニングしているという足立Loveな秋吉選手に、夢に近づく秘訣を聞いた。

チームで8、9番目の選手でした

秋吉選手:東京ヤクルトスワローズ所属・ピッチャー 生まれてからずっと足立区に住んでいます。社会人になって3年間だけ大阪にいましたが、それ以外は大学時代も含めずっと足立区です。
野球を始めたのは小学校1年生のとき。幼稚園のときの送迎バスの運転手さんが地元の軟式野球チーム「足立ジュニアヤンガース」の監督をやっていて、「やらないか」って誘われたのがきっかけです。

 強いチームだったので、活発に練習していました。土日はもちろん、学校が終わった後、ほぼ毎日です。でも、うまい人がいたので自分はけっこう下のほうでした。だめなときはベンチスタートのこともあったし、試合に出られないこともあった。常に試合に出ているレギュラーの選手ではなく、チームで8、9番目の選手でした。でも試合に出たいって気持ちはあったので、とにかく毎日ちゃんと練習して。練習がすべてかなと思います。そんな小学生時代があるから今があると思います。

 ただ、野球を始めたころは野球がそこまで好きではなかったんです。親が野球が好きで、「やれ」と言われ、やるなら途中でやめるのはだめだって言われてましたので。練習はきつくて、行きたくないってこともけっこうありましたし、行かないこともありましたが、親に言われて続けていた感じです。

 野球人口は減ってきていて、中学時代はクラブチームの人数が少なく、何とか試合ができるかできないかというくらいだったので試合には出してもらいましたが、それほど活躍したこともなく、いってみれば「普通」でしたね。

転機は高校時代

 クラブチームの先輩が足立新田高校に行って、そこの監督も野球をバリバリ知ってる人だったので、自分もそこに行って教えてもらえばうまくなれるんじゃないかと思って選びました。家に近いし、自転車でも通える距離ですし。自分はみんなと考えが違って、野球の強い高校に行こうとは思わなかった。弱い高校でも、自分が活躍して上までいければいいなと考えていました。

 都立高校からプロに行った人はごくわずかですが、都立だから行けないというのは違うと思うし、私立の強いところに行ったからプロになれるというのも違うと思います。本当にあきらめないでやっていけば都立からでも行けるよってことを、もっと伝えていきたいなと思いますね。

 新田高校は都立なので私立みたいにグラウンドがちゃんとあるわけでもなく、サッカーと半分半分で使っていました。荒川土手が近いですが、土手が使えるのは軟式野球まで。硬式野球だと危ないので、学校にお願いして外にボールが飛んで行かないようにネットを張ってもらって練習したり。ほんとに限られたスペースでしか練習できなかったんです。普通科なので、監督は練習だけでなく勉強もちゃんとやれと言う人だったから、テストの点が悪かったら練習に来ないで勉強しろと言われることもありました。

 不利なことも多々ありましたがそれをできない理由にせず、与えられた環境の中でできる限りのことをやることが大事だと思います。

 でも、朝7時から夜6時まで練習だったので本当にきつくて、実は何回もやめたいと思いました。練習がきついと、からだもきついけど気持ち的にもきつい。それに耐えてきたので、精神的にも強くなったと思います。プロでもピンチのときはあるので気持ちが弱い人は打たれたりする。気持ちが強ければ、ピンチでも打ち勝とうという気持ちになる。

 自分が恵まれていたのは、中学までは野手でしたけれど、高校で監督から、ピッチャーをやってみないかと言われたこと。そのときに「サイドスロー」で投げろと言われた。理由は自分にもわからないのですが、監督は体育の先生ですが、野球がうまくて、たぶんプロに行ってもいいような人だと思うので、見る目があったのだと思います。あのとき、サイドスローにしなかったら今があるのかなという気がするくらいです。

 ピッチャーを始めてから、監督がマンツーマンでついてくれて、ピッチング練習だけでなく、たとえばシャドウピッチングだとかいろいろ指導いただいたり、ランニングのときは陸上部のところで走らせてもらったりしました。高校時代は常に、走っているか、投げているか、でしたね。

 その結果、高校3年の夏の地方大会で、ベスト4まで行きました。

 子どものころも、もちろん野球選手が夢でしたが、それが現実味を帯びて感じられるようになったのはこのときです。

あきらめなければ誰でもプロになれる

秋吉選手:あきらめなければ誰でもプロになれる 練習がきつかったけどあきらめないで続けたのは、「野球が好き」という気持ちがあったからだと思います。小学生のころはやらされてる感がありましたし、決してうまくありませんでしたが、高校くらいから、野球が好きで、プロになりたいという思いがすごく強くなってきていました。小・中学校のときはからだが小さかったこともあって、自分はだめかなあと思っていましたが、高校のころにはけっこう背が伸びてでかくなったので、小・中学校で自分はだめだと思わないでほしい。高校に行ってからもまだまだ伸びしろはある。自分は高校からは練習メニュー以外にも練習しました。人と同じことをやっていれば、その人と同じレベルになってしまう。それ以上になるには、自分で練習するしかないですからね。

 だから、足立区の小学生に野球教室で教えるとき、最後に話すことは「誰でもプロ野球選手になれる」ということ。周りがうまい人ばかりで、途中でやめちゃう子もいるじゃないですか。でも、あきらめなければ、うまい子も下手な子も、練習して努力して行けば、誰でもプロになれるから、夢をあきらめずにがんばってって、いつも話しています。

 生まれ持った才能というか、センスというのも大事だと思うのですが、センスだけでは長くはできないので、練習を続けないことにはだめだし、たとえセンスがあまりなかったとしても、その子が野球が好きなら続けたらいいと思う。自分も子どもがいるんですけど、最初は野球をやらせようと思っています。でももしサッカーが好き、野球が嫌い、ということになれば、サッカーをやればいいと思う。好きだからこそ、続けられると思うので。

足立区の野球少年は恵まれている

 足立区の少年野球チームは強いですよね。全国大会でもけっこう勝ってますよね。

 都心だとグラウンドが少ないですが、足立区は都心に比べると河川敷もあり、グラウンド多いですし。環境的には足立区はいいと思います。

 足立区の少年野球のクラブチームは、お父さんが指導していることが多いですね。自分がたまに指導に行くクラブチームもそうですし、自分が小さいときもそうでした。

 子どものときから野球をやっていて、その環境で育った子どもがまたお父さんになって子どもたちに教えてあげて、という繰り返しが、足立区にはあると思います。

 自分も今、プロでやっていますが、できるときは小学生に教えてあげたい。実際には、12月、1月が自主トレ期間なので、この時期しか教えてあげられないのですが、時間がある限り、地元クラブチームに行ったりしています。自分に限らず、同じチームから巣立っていった先輩たちも来てくれる。

 足立区の子どもたちには強くなってほしいなあって気持ちがあります。全国大会に行けば足立区のチームが強いってことが周りにも知られることになるじゃないですか。そういう経験をさせてあげたいと思います。

 今の小学6年生は12歳ですよね。高校出て18歳でプロに入って来たとしたら、自分はそのとき35歳。対戦できるかもよ、って言ってるんです。高校からプロに入って俺と対戦できるようにがんばれよって話しました。教えた子がプロになって、プロとして対戦できるのはうれしいですし、実はあのとき教えてもらったんです、と言ってもらえたらうれしいですね。自分も昔はジャイアンツファンでしたので、テレビで見ていた人と対戦することがありました。あのスーパースターがバッターボックスに立って目の前にいると思うと、最初は緊張しましたね。高橋由伸さんとか、2年くらい重なっていました。

9回3点差でもあきらめない。野球の魅力

 野球の魅力は、「最後の最後までわからない」というところですね。9回ツーアウトになっても、そこから逆転っていうのもあります。サッカーは残り1分になったらあきらめることが多いじゃないですか。野球では、1点差でも、1点取れば同点、ランナーが1人いてホームランを打てば逆転。9回ツーアウトで3点差でも逆転はぜんぜんある。最後まであきらめなければ結果が出る。そういうところが面白いですね。

 逆に言うとピッチャーの立場だと最後の最後の一球まで気が抜けません。ゲームセットになって、みんなが集まるときになって、やっとホッとできる。打たれたらファンの皆さんをがっかりさせてしまいますし、WBCではヤクルトファンだけでなく日本全国の方が見ていましたから結果を出さないといけないと思いました。プレッシャーもありましたが、逆に、やりがいも感じました。

 日本中に何百人というピッチャーがいる中で、10人くらいしか選ばれない。その日本代表に選んでもらったことはうれしいことですし、選ばれなかったピッチャーには「あいつが選ばれて俺が選ばれないのは何でなんだ」と思ってる人もいるので、結果を残さなければならないという思いはありました。

 でも、プレッシャーより、本当に楽しかった。他の国と対戦できるなんて、めったにないことですし、いつも話したことのない選手と一緒に試合をするので、それも楽しかったです。

 自分は社会人のときから日本代表に入っていたので、経験があったことも大きいと思います。社会人代表で初めて入ったときはすごく緊張しましたから。そういう経験をしてプロに入っていきましたし、代表も何回かやっているので、緊張せずにプレイできました。経験があったので、選ばれたら、自分のピッチングをすればいいという自信がついたのかなと思います。高校時代に逃げなかったという経験も、今につながっているのかなと思います。

サイドスローで150キロを投げる

サイドスローで150キロを投げる秋吉選手 自分はプロ野球選手だから、活躍しない選手はだめだと思います。活躍してこそ、周りからも見てもらえるし、それでこそ、プロになった意味がある。プロは、活躍するかしないかが一番大事だと思うんです。だからこうやって活躍できているのはうれしいですし、入ったのが遅い分、1年でも長くやって、子どもたちに夢を届けたいなあと思います。

 サイドスローのピッチングフォームは、自分に合ってると思いますね。サイドスローで150キロ投げる選手はなかなかいない。さきほど「センス」の話をしましたが、センスだけではそうはなれないと思います。

 中学・高校ではあまりしなかったウエイトトレーニングを、大学・社会人からやるようになりました。高校では140キロ出なかったけど、社会人で10キロぐらい上がって148キロになった。社会人からプロになって、ウエイトトレーニングをもっとしっかりやって、150キロ出るようになりました。走る、投げる、だけじゃなくて、ウエイトトレーニングも大事だったのかなと思います。高校までは監督ひとりに教えてもらっていましたが、社会人になると、ピッチングコーチからトレーナーまでいて、ウエイトトレーニングをしっかりやれと、メニューに入っていました。専門の人にマンツーマンで見てもらえることも大事かなと思いました。そういうところが、都立と私立の差になっちゃうのかなとも思いますけど。

 自分は社会人からプロに入りましたが、社会人からプロに行ける選手っていうのは、プロに入ってからを考えて練習しています。プロを目指している人とそうでない人は、意識や練習がぜんぜん違うと思います。チームの練習だけだとそのレベルでしかないので、練習終わってから個別に、自分で練習するかどうか。練習してる選手はしてます。

 また、指導者の意見はしっかり聞くようにしています。間違ったことを教えられることは絶対ないので、教えてもらったことは全部取り入れてみます。今でも、コーチや周りの投手などから、教えてもらうと、どんどんプラスになっていくので、周りのいろいろな人から話を聞くのを大事にしています。

 とにかく言われたことはまず試してみて、自分に合わない練習法だった場合は終わりにして、また他の意見を聞いて良いことを取り入れるという風にしてますね。

 それは、今の小・中学生にも通じる話だと思います。小学生とか、身近な監督から教えてもらうと「はいはい」って流しちゃうことをすると思うのですが、自分に合うかどうか、一回試してみないとだめだと思います。自分のようにプロ野球の選手が言うと聞いてくれるのですが、いつもいる監督だと聞き流しちゃうのかな。でも、監督の話はちゃんと聞いたほうがいい。絶対プラスになるから。

目標は優勝、そして東京オリンピックへ

秋吉選手:目標は優勝、そして東京オリンピックへ 今年の目標は、ヤクルトが今、最下位なのでそれを何とかしたい。それから去年は自分もケガをしたし、うちのチームはケガ人が目立ったので、ケガをしないということが大事かなと思います。1年を通しての体力づくり、それから今の時期(12-1月)の自主トレが大事なので、沖縄に行ってからだを動かしたり、ランニングならどこでも走れるので、荒川河川敷で走ったりしています。体力をつけて1年間、投げきらないとだめですから。1年間143試合あって、自分が半分くらいは投げるので、準備を入れたら100試合。それに耐えられる体力が大事だと思います。2015年に優勝したときは自分は2年目で、すんごいうれしかったですし、あのうれしさ、あの優勝経験を、もう一度したいなというのがありますね。

 チームが優勝すれば自分の結果なんてあとからついてくるので、優勝が一番の目標ですね。もちろん自分が一軍にいなければ意味がないので、一軍にいて優勝する、それが目標ですね。

 2020年、東京オリンピックのときには、32、3歳になるのでどうかなと思いますが、そこまでバリバリやっていれば選んでもらえると思うし、去年WBCを経験しているので、この経験をオリンピックにいかせたらいいかなと思います。2019年にプレミア12があり、2020年に東京オリンピック、2021年にWBCがあって、19、20、21と大会が続いていくので、その3つに自分は出たいと思っています。30歳過ぎると今以上に練習していないと体力が落ちるのが早いので、今年29なので、そろそろ練習量を増やさないといけないと思っています。上の人からのアドバイスを聞いて、やっています。

みやぞんは先輩。地元足立LOVEです

 足立区内に住んでいるので、家族でごはんを食べに行くこともあります。地元では野球をやってる子も多いので、「秋吉選手ですか?」と声をかけられることもあります。一緒に写真を撮ったりもしますよ。自分は、ごはんを食べに行って個室を取ったりはしない。むしろ、ファンと触れ合うのも大事だと思うんです。去年WBCに出てから、けっこう話しかけられるようになりました。

 クラブチーム時代のチームメイトも今、チームコーチをやっていたりしますし、チームメイトには今でもちょくちょく連絡とっていますし、一緒にごはんを食べに行ったりもします。友人とは、スタミナ苑に行ったり、あとは大師(西新井大師)の裏あたりにもごはん屋さんがけっこうあるので、あのあたりもよく行きます。野球好きな店主も多いので、初めて行った店でも「野球選手ですよね?」とか言ってもらって、2回目からよくしてもらったり、応援してもらったり、うれしいですね。ANZEN漫才のみやぞんさんも、同じクラブチーム(足立ジュニアヤンガース)出身で先輩なので、この前、テレビに取り上げられたんですけど、そのあと、ちょくちょく電話で話します。実物もあんな感じです。テレビのままで(笑)。

 足立区は、小さいときから住んでいるのでどこに何があるかだいたいわかりますし、都心より暮らしやすいですし、結婚して、足立区に家を買い、足立区で子育てをしています。まわりの人に、治安が悪いのではと言われることもありますが、自分は悪いと感じたことはないですね。昔の話をしているのではと思います。

 生活習慣では、寝ることは大事にしてますね。練習がきついので、早く寝て早く起きる。それで、ごはんをしっかり食べる。それは大事かなあと思いますね。好きなもの、たとえば肉ばかりじゃなくて野菜も食べるとか、食事のバランスにも気を配っています。当たり前のことをしっかりやる。それが大事かなと思います。

<談:2018年1月20日>

秋吉亮(あきよしりょう)

東京ヤクルトスワローズ所属・投手。足立区生まれ、扇小学校、江北中学校、都立足立新田高校出身。
子ども時代は、軟式野球チーム「足立ジュニアヤンガース」に所属。身長182cm、体重73kg。右サイドスローから最速150km/hの速球を投げる。2017年WBC(ワールドベースボールクラシック)に出場し、日本代表として活躍した。

 

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