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公開日:2026年2月26日 更新日:2026年2月26日
昨年の開宿400年で注目が集まった千住宿。かつては、今よりずっと広い範囲を千住宿と称していたようです。北は現在の足立区役所本庁舎の一部、東は五反野駅、西は西新井橋付近までを指していたと。さらにその外側、現在の梅田や関原のあたりは「千住在(せんじゅざい、千住近くの村という意味)」「千住筋(せんじゅすじ、千住方面という意味)」と呼ばれていました。当時は荒川放水路がなく、地続きだったわけですし、それだけ千住の賑わいが大きかったということですね。
徳川将軍が御鷹狩りの際に、食事や休憩をとる御膳所(おやすみ処)として國土安穏寺(足立区島根)(※)を訪れたことは知っていましたが、今回学芸員の資料を見て、足立区梅田の明王院(赤不動)も8代将軍吉宗の御膳所だったことを知りました。子どもの頃には不動堂の下に潜って遊んでいた(時効ですよね)ほど親しんだお寺に、徳川家の将軍がやってきていたのかと思うと不思議な気分です。明王院といえば、都文化財指定の南北朝時代の如意輪観音さんが有名です。秋の東京文化財ウィークにあわせてご開帳されます。
古い地図を見ると、梅田のあたりに淵江郷(今の足立区の大半が含まれる)の役所があったと推定される記載もありました。当時(室町時代以前)は梅田が地域の中心だったとは!歴史って興味が尽きませんね。
(※)國土安穏寺の「穏」の字は旧字体ですが、表示の都合により新字体を使用しております。
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