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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日

農村時代の足立

かつての足立区は江戸東京に隣接する近郊農村でした。昭和30(1955)年ころまでは、広い田があり、東京の米産地として知られていました。輸送手段が限られていた江戸時代には足立区域で生産された「渕江米」が江戸米会所(こめかいしょ)の格付けで24ランク中3番目に格付けされていました。また、新鮮さが求められる野菜や、花の栽培なども都市近郊という立地を生かしたものでした。農村地帯であった足立区域も急速な人口の増加により都市化が進み、農地が少なくなると、狭い土地でも季節ごとにさまざまな作物が取れる野菜の栽培がいっそう行われるようになりました。


東京の穀倉地帯


農家のたたずまい

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