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公開日:2019年12月24日 更新日:2021年8月25日
住と寿とどうちがう?
千住にある足立区立の小学校は、「千住」ではなく「千寿」を学校名に使っています。
実は江戸時代からすでに「千住」も「千寿」も両方使用されています。
上の画像は、平成14(2002)年に千寿第二小学校と合併する以前の明治7(1874)年創立の千寿小学校の校章です。現在の校章では「壽」ではなく、「寿」を使っています。
土地の名称としては江戸時代以来、一貫して「千住」が公称となっており、「検地帳」、「郷帳」といった幕府の土地台帳で確認することができます。
「千寿」と「寿」を用いるのは、祭礼の際の表記などで、瑞祥名、つまりめでたい意味のある言葉を使って、祝ったり、縁起をかついだりする目的があります。
また、街道を管轄する道中奉行もしばしば「千寿宿」という表現を用いており、宿場という機関の名称でも使用されることがあることがわかります。
つまり、町名、地名としては「千住」、機関名、瑞祥名としては「千寿」を使う場合があるということです。
近代を迎える明治時代以後も、この伝統は残り、地名表記(戸籍や住所)では「千住」の表記を用いていますが、学校名では「千寿」の表記が用いられています。
「寿」という文字に、喜びと発展や永続するという願いを込めてと思われます。
現在、私たちは「正しい表記は何か」、「使い分けにルールがあるのか?」という風にどうしても考えがちですが、その場に応じて多様な表記を用いたのが江戸時代以前です。
「新撰組」も「新選組」もどちらも使われ、局長の近藤勇も両方を使っていることが知られています。
現代と異なりどれも間違いではないことにご留意下さい。
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