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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日

新選組とあだち

新撰組があだちで過ごした19日間!近藤勇

慶応4(1868)年3月13日の夜から4月1日までの19日間、近藤勇(こんどういさみ)と土方歳三(ひじかたとしぞう)に率いられた新選組の一隊が、五兵衛新田(ごへえしんでん・現足立区綾瀬周辺)に屯所(とんしょ)を設けました。

3月13日夜に到着した時、人数は48名でしたが、土方が到着した15日に100名を越えてから急激に増加し、4月1日には227名に達しました。このため、五兵衛新田名主見習金子健十郎の屋敷では収まらず、村内の新宅、滝次郎宅と観音寺の3か所へ分宿させました。

屯所へは、魚や野菜、菓子類などの食材をはじめ板や釘などの用材、草鞋や茶碗・風呂敷などの雑貨、薪や油など燃料にいたるまで様々な物資が供給されました。五兵衛新田が村をあげて屯所経営にたずさわったのは、「御上様御奉公筋(おんうえさまごほうこうすじ)」すなわち幕府への奉公となると考えていたことが伺えます。

五兵衛新田で着実に人数を増やしていた新選組は4月1日夜に急きょ移動を開始、翌2日朝には流山に駐屯していることが確認されています。こうした急激な移動は、千住宿への官軍の進出と、これにともなう歩兵の逮捕が要因でした。

新撰組の屯所となった二軒については、門前に、史跡の案内板を掲示しています。内部公開および一般対応はしていませんのでご注意下さい。

観音寺(綾瀬4-9-6)、名主見習金子健十郎家(綾瀬4-15-21)

*『足立区立郷土博物館紀要26号』にて、新選組の屯所となった金子家に伝わる文書を「五平新田屯所関係史料」として書き起こし紹介しています。

隊士の編成に関する覚え書き、佐々井半十朗と大久保大和との書簡などを収録しています。


新選組の屯所となった金子家

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