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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日
奈良・平安時代(この時代を古代と言います)の伊興いせきのあたりは、武蔵国足立郡という当時の国の区分けに入りました。
伊興いせきはこのころまで毛長川ぞいの中心地としてのやくわりをはたします。さいきんの研究から、伊興いせきに国や郡からさしつかわされた官人がいたこともわかってきました。このころの国をささえる税を集めることがもくてきだったのでしょう。
★武蔵国足立郡(むさしのくにあだちぐん):今の足立区から鴻巣市あたりにあった、昔のちいきの名前。
★官人(かんじん):役人のこと
奈良・平安時代の毛長川は利根川という関東地方で一番大きな川の流れの一部で、水がゆたかな川でした。
そのほとりに足立区でさいしょの村ができました。しかし利根川が流れをかえたことにより、毛長川の川はばもせばまり、ドロや土でうまっていきました。
ドロや土が次々につもっていったこのころに、毛長川のほとりでくらしていた人々が字を書いた土器や木簡が、伊興いせきあたりで見つかっています。これらの文字から平安時代の足立の人々の生活が思いうかばれます。
★土器(どき):ねんどと水とをこねて形を作り、やきかためて作ったいれもののこと。
★木簡(もっかん):細長い木の板に、すみで文字などを書いたもの。
「川前」と字が書かれた土器
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