ホーム > 文化・スポーツ > 足立区立郷土博物館トップページ > 足立を学ぶ|足立区立郷土博物館 > 足立の昔話(4)-千住の七不思議(2)-
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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日
足立は、その昔、アシがたくさん生いしげっていた場所でした。あるとき、弘法大師が荒川のきしべに立つと、アシの葉は弘法大師の堂々とした立派なすがたにおそれ入り、風になびいていたのをピタリとやめ、いっせいに大師の方を向いてなびきはじめました。そして、そのままくきの片方にしか葉をつけない片葉のアシにすがたをかえました。
昔、子福さまとよばれるおいなり様が千住の長円寺の中にありました。
長円寺のうら山には、町で悪さをするキツネが住んでおり、こまった町の人はキツネを「子福いなり」として寺の中に大切にまつることにしました。
それからは、キツネは悪さをしなくなり、町の守り神となりました。
千住二丁目の金蔵寺には、えんま様がまつられています。
ある昔、日光街道ぞいのそば屋に毎日そばを食べに来る美しい女の人がいました。「毎ばんのように店に来るあの美しい人は、どこの人だろう」と、ふしぎに思ったそば屋があとをつけてみると、むすめは金蔵寺のえんまどうの中へすいこまれるように消えていきました。
それから、金蔵寺のえんま様は、そばが大好物ということが広まり、ねがいごとをかなえてもらったお礼にそばをおそなえするようになりました。
金蔵寺の本堂
いつのころか、堀切から牛田のあたりには大きなほりがありました。そのほりは、アシが多く生え、ゆたかな水をたたえていましたので、魚たちのいいすみかとなっていました。
ところが、ここでつった魚を持ち帰ろうとすると、「おいてけー、おいてけー」と地のそこからわき出るようなブキミな声が…。むりに持ち帰ろうとするとアシのしげみからぬけ出せなくなってしまいます。どうにか家に帰ることが出来たとしても、持ち帰った魚は、夜中にいなくなってしまうのです。
こうしたことから、いつのまにかこのほりのことを「おいてけ堀」とよぶようになったそうです。
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