ホーム > 区政情報 > 広報・報道 > シティプロモーション > あだちから新聞 > 【約1年ぶりに帰ってきました!】あだちから新聞Vol.2 > 【あだちから新聞インタビュー 歴史と文化を子どもたちの誇りに】櫟原文夫

ここから本文です。

公開日:2021年12月22日 更新日:2023年8月18日

【歴史と文化を子どもたちの誇りに】 

千住文化普及会 代表 櫟原 文夫(いちはら ふみお)さん

櫟原さん

“DNAに叩き込まれた”歴史と文化の大切さ

「昔住んでいた自宅にはね、置物とかがたくさんあったんですよ」。

幼少期、檪原さんの自宅には置物などが所狭しと並んでいた。中には千住大橋の木杭で作られた木彫りの像など、貴重な品もある。

「当時の自分からすれば古めかしくてどうでもいいものでした。遊んでいて置物にボールをぶつけて壊してしまったこともあってね。あの時はエラくおじいさんに怒られたなぁ」。そう檪原さんは語るが、周囲の影響もあり、徐々に文化と歴史に関する興味がわいてきた。

木彫りの像  櫟原さん

幼少期に壊してしまった木彫りの像。今でも自宅に大切に飾ってある

「昔はね、外で遊ぶことが多かったので、家族だけでなく、近所のおじさんやおばさんと話す機会も多かった。その中で、千住の歴史や昔話を、自然と“自分のDNA”に叩き込まれたんです」。

こうした周囲の環境が、「NPO法人 千住文化普及会」の理事長として活躍する原点だ。

伝説は実在した!

檪原さんが生まれ育った場所は千住大橋にほど近い。千住大橋は1594年に隅田川に架けられた最初の橋であるが、「1番というのは気分がいい」と子どもの頃から興味を抱いていた。

その千住大橋には1つの伝説があった。それは「千住大橋の橋杭は伊達政宗から送られた『高野 こうや 槙 まき』である」というもの。檪原さんもこの話を知っていたが、あくまで伝説であり、存在は確認できていなかった。50代の頃、船頭をしていた老人から「船底に何かが当たって転覆しそうになった」という話をきき、事実を確かめたいという気持ちがわいてくる。

様々な文献を読んだうえで、東京都に調査を依頼したが断られてしまったため、「夏になったら、自分が千住大橋の上から隅田川に飛び込んで橋杭を探す」ことを決意した。当然周囲は大反対。しかし、檪原さんは本気だった。そのうち噂を聞きつけたNHKから取材依頼が入り、インタビューを受けた様子が放送された。それが大きな話題となり、その後東京都が調査を開始したのだった。その結果、高野槙が3本、川床から見つかった。

「伝説は本当だった…」檪原さんは大きな喜びを感じた。

櫟原さん

子どもたちは携帯電話やゲーム

平成16年、檪原さんは千住の文化や歴史の伝承を目的として活動する「NPO法人 千住文化普及会」を設立。自分の住んでいるまちの歴史や文化を深く知り、郷土愛をはぐくむことが、やがては「自分自身への誇り」につながると考えたからだ。現在に至るまで15年、精力的に活動しているが、それはある思いからだという。

「昔は近所づきあいもたくさんあったが、今はそういった環境ではなくなってしまった」。

子どもたちは携帯電話やゲームなどで家にいることが多い。加えて、核家族化が進んだことで大人も地域の人とのかかわりを持つ機会が減少している、また昔、自分の近所にいたような人「昔話をしてくれる人」も少なくなってしまった、と檪原さんは語る。

そうなると、いずれは千住の文化や歴史を誇りとして感じなくなり、地域に愛着が持てない。ひいては自分にも誇りが持てないというということになってしまうのでは。そんな「危機感」を感じたのだそう。それならば、自分がこのまちの文化や歴史を伝えなければと考えた。千住で生まれ育った自分がやらなければ!という「使命感」に突き動かされた。

千住には何もない?

千住文化普及会の活動は多岐にわたる。より多くの方に千住の魅力を伝えるため、「千住街歩き」や史跡案内のガイド役をつとめ街並みの歴史を紹介。また、『千住宿』歴史ガイドウォークブック」として、史跡や神社仏閣などを紹介する本も出版。次の世代への文化・歴史の伝承を目的に、「槍かけのまつ」「ぼくたちのおばけえんとつ」といった絵本を作成、地元小学校を訪問して出張講座にも参加している。多岐にわたる活動だが、すべては使命感と情熱から来ているという。「それしかありませんから」と檪原さんは言う。

街の駅

15年の活動の中で、時には「千住には何もない」と言われることもあったが、檪原さんは全くそう思わない。かつて宿場町として大きく栄えたことはもちろん、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅立ちの地として知られる。また、父の診療所を手伝うために訪れた森鴎外、富嶽三十六景で3枚の千住を題材にした浮世絵を描いた葛飾北斎などの文化人が多くの足跡を残し伝承されている。

「積み重ねてきた歴史や伝説・伝承など、多くの人の興味を引き付ける魅力がたくさんある」と胸を張る。

“蒔いた種”が芽を出し始めた

千住文化普及会の活動は、ここ数年で大きく実を結ぶようになった。

昔は千住に関する知識を全く持たない人に説明をすることが多かった。しかし最近は「千住の街に来る人が大きく変わった」と、檪原さんは語る。歴史的なことも文化的なことも、あたり前のように知識を持ってから来る人が増えた。「千住に来てみたかった」「千住大橋の歴史についてもっとくわしく知りたい」と言われることもあるそう。

「自分たちが長い間発信してきたことを、メディアなどを介して受け止めてくれるのが嬉しい。単にマスコミの取材が増えただけでなく、ある程度予備知識を持ってきてくれるので、より深い話ができるようになった」。近年、状況が変わりつつある。

街の駅

街の駅

千住文化普及会が運営受託している「千住街の駅」。もと魚屋だった空き店舗を活用

原動力は“恩返し”

文化を伝える際に大切にしていることは「流れを正しく理解すること」だと語る。新しいビルも増えたが、それらはたまたまそこに建ったわけではない。千住大橋が架けられ、人の流れができ、商店が生まれ、関わる人が多くなり…。そういった流れの中で歴史・文化が積み重なっている。

何百年も前からの積み重ね、それが土台になっていることを忘れてはいけないのだ。

「今自分が活動しているのは、かつて自分に歴史や文化を教えてくれた人々への“恩返し”でもある。過去があるから未来がある。その気持ちを次の世代に伝えていきたい」。檪原さんの目から、強い意思を感じた。

櫟原さん

5つの質問

1.出生地/足立区千住
2.足立区歴/70年
3.足立区に来た理由/生まれも育ちも足立区
4.足立区の好きなもの、こと、人/人懐っこいところ。場所なら魚河岸が好き
5.あなたにとって足立区とは/生まれ育った町

DATA
NPO法人千住文化普及会
足立区千住河原町21-8-702

03-3881-3232


お休み処 千住街の駅
足立区千住3-69(宿場町通り)
080-6630-8037

こちらの記事も読まれています

 

お問い合わせ

シティプロモーション課
電話番号:03-3880-5803
ファクス:03-3880-5610
Eメール:city-pro@city.adachi.tokyo.jp

all