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公開日:2019年12月24日 更新日:2023年10月16日
伊興遺跡公園は1993年(平成5年)に開園した公園です。公園となった場所は、伊興氷川神社に近く、伊興遺跡でも中心と考えられていた地点です。
発掘調査が試みられたこともあったようですが、あまりの出土品の量に驚き、足立区で土地を買い上げ、保存区域として保護されることになりました。
その後、遺跡公園として活用することが決定され、1989年(平成元年)から公園整備のための発掘調査が開始されます。足の踏み場のないほどの膨大な量の土器や勾玉などの玉類が出土し、伊興遺跡の中でも祭祀が盛んに行われた重要な地点ではないかと考えられるまでに至っています。
現在も遺跡公園の下には、調査することのできなかった多くの遺構・遺物が眠っています。
伊興遺跡公園
伊興遺跡公園の真下から竪穴住居をはじめとした様々な遺構が発見されました。遺構とは、古代の人々が造った溝や墓などの古代の構造物のことを指します。
復元した住居内では、当時の生活ぶりを再現しています。米作りがすでに始まっていましたが、多くはムラの周りで取れる食料に頼っていたようです。シカなどの獣骨や魚骨、モモなどの種子や花粉が出土しています。
また、公園内には方形周溝墓といわれる古墳の前身の墓も発見され、公園内に復元展示しています。
復元された竪穴住居
竪穴住居の内部
方形周溝墓(復元)
展示館の展示物は、主に遺跡公園の出土品から構成されています。古墳時代に実際に用いられた土器・勾玉などを展示しています。
土器の中で遠く、現在の大阪府から運ばれてきた須恵器が目を引きます。作り始められたばかりの須恵器は時に珍重され、祭祀に用いられる宝器として扱われたようです。
また、勾玉の中でも子持勾玉は玉が玉を生み出す状況を再現したものとされます。関東地方でも伊興遺跡に特に出土例が多く、西日本と同様な祭祀が行られていたとされています。古墳時代の祭祀の状況は人形を用いて再現しています。
伊興遺跡公園展示館の内部
作り始められたばかりの須恵器
伊興遺跡出土の子持勾玉
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