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公開日:2019年12月13日 更新日:2022年3月24日

芭蕉と足立

江戸時代の俳人・松尾芭蕉は元禄2年(1689年)、深川の芭蕉庵から隅田川を船でのぼり、宿場町の千住から仲間たちに見送られ「行春や鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪」と詠み、東北への旅に出立しました。それより約5か月にわたる2,400kmの旅は、大垣で「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と詠み、「奥の細道」をむすんでいます。

2019年度は、この旅立ちから330年目の節目にあたることから、「奥の細道」ブームを全国にわき起こし、奥の細道ゆかりの地へ多くの人々が訪れました。足立区も各地の地域活性化への貢献を目指すことを目的に「奥の細道紀行330年記念事業」を実施しました。

名所の紹介

芭蕉陶像の画像 芭蕉坐像

 この坐像は、昭和49年(1974年)10月、千住大橋北詰に「史跡おくのほそ道矢立初の碑」が建立されたのを祝って、川崎康子氏から足立区に寄贈されました。昭和17年(1942年)、芭蕉の生誕地、伊賀上野(三重県伊賀市)に俳聖殿建立の際、伊賀焼で芭蕉の坐像を製作し、堂内におさめられました。本像は万一に備えて焼かれた副です。像の原型は、乃木希典将軍の甥にあたる長谷川栄作氏の作で重さは約400kgあります。

 所在地:足立区千住5-13-5(学びピア21内)

 

 

 

 

 芭蕉句碑芭蕉句碑(行く春や)の画像

 『ゆく春や鳥なき魚の目は泪』

 昭和29年(1954年)建立。俳人の岡本機柳還暦記念として、建立されました。機柳は、千住河原町の俳人、為成菖蒲園が師事したことでも知られています。

 所在地:足立区千住5-17-9(安養院境内)

 

 

 

 芭蕉句碑芭蕉句碑(春も漸)の画像

 『春もややけしきととのふ月と梅

 奥の細道300年を記念して、平成3年(1991年)に建立。もともと文久3年(1863年)の句碑が本社境内にあったが、破損防止のため、郷土博物館に移設保存されました。句は元禄6年(1693年)の旧碑と同じ句が記されました。

 所在地:足立区千住3-22(千住本氷川神社境内)

 

 

 芭蕉句碑芭蕉句碑(ものいへば)の画像

 『ものいへば唇さむし秋の風』

 慶応3年(1867年)建立。芭蕉の座右の銘として知られる人の短を云うことな   かれ己の長をとくことなかれ」の部分と標題句が記されています。典拠となった「芭蕉庵小文庫」(元禄9年・1696年)の一つは郷土博物館に保存されています。また、「物いへば唇寒し秋の風」の創作年代は未詳。

 所在地:足立区千住宮元町24-1(千住神社境内)


 芭蕉石像芭蕉石像の画像

 この石像は地元の千住大賑い会の呼びかけによって、芭蕉生誕360年にあたる平成16年(2004年)の12月12日に建立されました。

 所在地:足立区千住橋戸町50(千住宿奥の細道プチテラス内)

 

 

 

 矢立初の碑矢立初の碑の画像

 奥の細道は、江戸深川(現江東区)から奥州・北陸などを巡り、美濃国大垣(現岐阜県大垣市)にいたる約5か月におよぶ旅を題材にした作品で、元禄7(1694)年に成立しました。旧暦の元禄2年3月27日(新暦では1689年5月16日)に深川から船で千住に赴いた松尾芭蕉は、多くの門人たちが見送る中、河合曽良をともなって旅立ちました。奥の細道には、千住で詠んだ矢立初めの句「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」が載せられています。この句は、編さん時の句であり、実際の千住来訪時の作は「鮎の子のしら魚送る別哉(わかれかな)」であったという研究があります。「ゆく春や…」の「魚」、「鮎の子の…」の「しら魚」は千住の名産である「白魚」を詠みこんでいることでも知られています。

 所在地:足立区千住橋戸町千住大橋北詰(大橋公園内)

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