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公開日:2023年2月8日 更新日:2023年2月8日

あだちミステリーハンター in 西新井

あだちミステリーハンター in 西新井

歴史ある寺院や街なみ、おいしいグルメなど魅力あふれる西新井。
「西新井」の地名の由来は? なぜ「大師線」はこんなに短いのか?西新井地域には数々のミステリーが眠っていて、中には、真相が解明されていないものもあるのです。
本特集では、歴史ロマンと魅力にあふれる西新井地域のミステリーをご紹介します。あなたも「ミステリーハンター」になって、ミステリーを解き明かしましょう !

 

動画もあわせてチェック!

本特集は、(一財)足立区観光交流協会の制作した動画「あだちミステリーハンターが行く」とのコラボ企画です。東武鉄道の職員と一緒に西新井や千住のミステリーを紹介しています。あわせてご覧ください。


あだちミステリーハンターが行く 東武鉄道 西新井編

あだちミステリーハンターが行く

  • 東武鉄道 千住編(前編)/(後編)
    現在はない「幻の駅」や北千住駅の地下に眠る秘密など、千住のミステリーを解き明かします !
  • 東武鉄道 西新井編(前編)/(後編)
    西新井駅で見ることができる大師線の秘密など、驚きのミステリーの数々をご紹介します !

 

 

大西ミステリーハンター(一財足立区観光交流協会)

あだちミステリーハンター in 西新井

 

ミステリーハンター in 西新井マップ
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ミステリー3「西新井」成り立ちの秘密!
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まだまだあるある!西新井のちょっとミステリー

 

不思議な姿のお地蔵さん「塩地蔵」
西新井1-15-1(西新井大師内)

不思議な姿のお地蔵さん「塩地蔵」

山門を入ってすぐのところにある塩まみれのお地蔵様は、「イボ取り」などにご利益があるといわれています。このお地蔵様から塩をいただき、患部に擦り込み功徳があれば、倍の塩をお返しする習わしです。

凛とたたずむ「弘法大師立像」
西新井1-15-1(西新井大師内)

凛とたたずむ「弘法大師立像」

お大師様(空海)が四国行脚をした際の立像を見ることができます。今回のあだち広報2月10日号の表紙にも実は登場しています!

 

花と甍(いらか)のあるまちへ
「西新井地区周辺景観まちづくり宣言」(中郷公園)

西新井1-29-15

花と甍のあるまちへ

この地区における名所・史跡・観光面の重要な資源である西新井大師および周辺地区の歴史的景観を尊重し、さらに個性的で特徴ある西新井をつくるための宣言。地区の中心部に位置し、地区のシンボルである西新井大師の歴史的環境に調和した心地よい住宅地の創造をめざし、テーマを「花と甍※のあるまち」と設定しています。そのため、まちなかには歴史的環境に調和するよう配慮されたものが多くみられます。
写真:中郷公園 東屋風の公衆トイレ
※…かわらぶき屋根のこと

天災に由来する名前
「雷(いかづち)神社」

西新井2-27-1

雷(いかづち)神社

江戸時代の中期(1713年)、この地方は度重なる落雷に襲われ、田畑は荒れ果て草木は枯れて荒れ地と化し、そこに享保の大飢饉も重なり、長い歳月が流れていきました。村人たちは寄り合い、雷の大神を建立し氏神様として祀り、神社の境内中央にご神木として椎の木(スダジイ)を植樹。村人たちの安泰五穀豊穣を祈願したと伝えられています。月に何度か(土・日曜日、祝日)、社務所で御朱印を受け付けており、雷神社専用の御朱印帳も販売しています。

 

タコさんすべり台 全国第1号!?「新西新井公園」
西新井5-17-1

「新西新井公園」

あだちの公園のシンボル的存在となっている「タコさんすべり台」。諸説ありますが、新西新井公園に昭和40年(1965年)設置されたものが“第1号”ではないかといわれています。
元々は「石の山」という名前のすべり台だったそうですが、『頭をのせたらタコになるのでは?』との注文を受け、出来たのがタコさんすべり台とのことです(諸説あり)。
現在は、平成30年度の公募で最優秀賞となった「飛べ!タコ星人ロケット!」のデザインになっています!

江戸時代に始まった「西新井の夏菊」
西新井

「西新井の夏菊」

足立の花の栽培は、農家が江戸の町の人々へ向けて、稲作や畑作の合間に花を栽培したのが始まり。中でも菊は仏花としての需要があり、西新井の菊は各地の物産を書き上げた『東京府志料』明治6年(1873年)にも「菊花二千七百把」の記載があり、江戸の末期にはすでに栽培されていたことがうかがえます。
秋に咲く菊を需要が高まるお盆の時期に合わせて栽培した高品質の菊は、「西新井の夏菊」として有名になりました(花栽培の先進地域だった足立区も都市化が進んだことにより、大きな産地は地方に移りましたが、現在も近郊農業のひとつとして花の栽培は続けられています)。
※写真:昭和46年(1971年)、興野2-31付近の菊の収穫の様子。足立の名産品夏菊の収穫は、6月に行われ、長い棒の先についた小型の鎌で、根元から刈り取ります。後ろは、旧扇3丁目都営アパート(足立区立郷土博物館収蔵資料データベース・石坂満氏撮影)

 

千住と西新井大師をつないだ「本木新道」
西新井栄町3-16~本木1-25

本木新道

環状七号線の西新井大師前交差点から、荒川沿いの首都高中央環状線高架下の交差点を結ぶ道です。千住と西新井を結ぶ大師道として親しまれていました。「本木新道」の名前が登場したのは、明治時代に道幅を拡幅してからというのが一説です。現在のこの道は、ところどころ曲がりながら個人商店が続いており、昔ながらの面影を残す生活道路となっています。

繁栄を願って付けられた「西新井栄町」
西新井栄町 

環状七号線の西新井大師前交差点から、荒川沿いの首都高中央環状線高架下の交差点を結ぶ道です。千住と西新井を結ぶ大師道として親しまれていました。「本木新道」の名前が登場したのは、明治時代に道幅を拡幅してからというのが一説です。現在のこの道は、ところどころ曲がりながら個人商店が続いており、昔ながらの面影を残す生活道路となっています。西新井栄町

昭和48年(1973年)5月1日の新住居表示によって成立。
東に西新井駅を抱え、西には西新井大師の近くまで町域が広がっていたことから、「これからは社会生活上、西新井を称えたほうが便利であり、この地区の今後の繁栄、発展を願う意味も込めて『西新井栄町』」と名付けられました。
※写真は西新井栄町1-19-1にある「西新井さかえ公園」。日清紡績工場跡地の開発に伴い
、平成19年(2007年)に開園した。

 

幻の橋「あみだ橋」
西新井本町

あみだ橋

交差点、公園、バス停…このあたりで見かける「あみだ橋」という名前。でもこのあたりを見回してもそれらしき橋はどこにも見当たりません。
ではなぜ「あみだ橋」なのか。この名前は、かつてこのあたりに流れていた「西新井堀」に架っていた橋の名残といわれています。その堀の流れは、伊興4丁目のはんの木橋付近で西伊興から西新井地区を南下し本木北町で本木堀に合流していたとされています。西新井堀は暗渠(あんきょ)※化され、そこに架っていた橋の名前だけが残りました。「あみだ橋」は現在、その痕跡も失われてしまっている幻の橋なのです。
※…河川や水路を地中に埋設すること

 

 

なぜ足立区に?「はじめの一歩マンホール」
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はじめの一歩マンホール

実は、漫画「はじめの一歩」の作者は足立区出身!それにちなんでデザインマンホールが区内各所にあります。

デザインマンホールについてくわしくはコチラ
https://www.city.adachi.tokyo.jp/s-shinko/designmanhole.html

動物がかくれんぼ「ギャラクシティ」
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動物がかくれんぼ

ギャラクシティ、正面からばかり見がちですが、裏に回ってみると木で作られたゾウとキリンが!なんでこの動物にしたのでしょうか...謎は明かされず...。
担当者としては、「草に点→ゾウ」「樹林→キリン」と考えます(ダジャレ)!

 

優しい猿の悲しい物語「猿仏塚」
栗原1-4-25

優しい猿の悲しい物語 「猿仏塚」

島根小学校の西側の校門前に並ぶ三基の庚申塔。ここは「猿仏塚」と呼ばれ、猿にまつわる悲しい物語が地域に伝わっています。
昔、このあたりの農家に1匹の賢い猿がいました。あるとき、農家で寝ていた赤ん坊が急に泣き出しました。猿は、赤ん坊がお風呂に入れてもらうと泣き止むことを知っていたので、お湯を沸かして赤ん坊をお風呂に入れてあげました。ですが、熱湯だったために、赤ん坊は死んでしまいました。猿は罪の意識に悩み、食事もとらずに赤ん坊の墓を守り続け、ついには墓前で餓死してしまいました。村人はその猿を憐れみ「仏になって子どもたちを守っておくれ」と、現在、猿仏塚の立っている場所に手厚く葬ったと伝わっています。後に、猿仏塚は子どもの厄除けとして信仰されるようになり、子どもが病気になると泥団子を供えて願掛けし、治ると米団子を供える風習となったそうです。

大きな石がたくさん!「石塚公園」
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石塚公園

昭和の初期まで「梅島村栗原字石塚」と呼ばれており、その地名をとって「石塚公園」という名前になりました。この「石塚」という地名は、室町時代の応永4年(1397年)には「渕江郷石塚村」という名前で存在していたようです。
「石塚公園竣工記念碑」の周りには大きな石がたくさん! 昭和52年(1977年)の開園当初からその配置で置かれていたようです。設計図にもその配置が書いてあり、今も同様に置かれています。

 

環七沿いにたたずむ「お地蔵様」
栗原3-6付近 交差点「満願寺前」

環七沿いにたたずむ「お地蔵様」

満願寺前の環状七号線(環七)が開通した後、交通量が増えたことから、昭和62年(1987年)に、交通安全を祈願して、満願寺の先代のご住職により建てられました。お地蔵様にかけられているカラフルな折り鶴、実はなんと地域の方々からのものとのこと! そのため、折り鶴はあったり、なかったりするそうです。

満願寺に伝わるたぬきの昔話「たぬき塚」
栗原3-6-6(満願寺内)

たぬき塚

昔、ある寒い冬の晩、老僧が一日の勤めを終えたころ、風呂敷を背負ったたぬきがやってきて囲炉裏で暖をとりました。たぬきは翌晩も暖をとったのですが老僧はふと囲炉裏の灰をたぬきの風呂敷に入れたところ、たぬきの風呂敷に火がついて死んでしまったのです。これを哀れんだ老僧が寺の竹藪のそばに「たぬき塚」を建てたといわれています。「たぬき塚」にはたぬきの石像が飾られています。

 

曲がりくねった道「七曲がり(ななまがり)」
栗原3-10~伊興4-1

七曲り

旧伊興村から旧西新井村への大師道の一つ。曲がりくねった道の呼び名として、昔から「七曲がり」の名前は地元で親しまれていました。平成6年(1994年)、区制60周年記念事業の一環としてこの愛称名が正式決定されました。

堀の橋石が残る「勝田堀公園」
栗原3-26-5

勝田堀公園

昭和57年(1982年)に開園。公園の縁を流れていた勝田堀にちなんで名付けられました。公園内には、勝田堀にかつて架けられていた石橋の石が、公園銘名碑の礎石として保存されています。礎石には「この石は勝田堀用水路に架けられていた古い橋の石で長い年月地域の人達の通行に貢献してきたものであり感謝の意を込めてここに保存する」と書かれています。

 

※内容は、区調べ。ほかにも説がある場合があります。

 

あだちの輝くお店セレクション in 西新井

Tomorrow and Everyday

あだちの輝くお店セレクション
第1回 手みやげ・贈り物

生まれてはじめて大きな声で笑った日、はじめてハイハイした日。うれしいがたくさんつまった毎日が記念日になる。だから毎日お祝いしてほしい。そんな気持ちを込めてママが作るハンドメイドアクセサリー。出産祝いなどにもピッタリ!
MAP:西新井1-32-11-104

Tomorrow and Everyday

エスキモーカフェ

あだちの輝くお店セレクション
第1回 手みやげ・贈り物

素材の持ち味を生かした自家製ジェラートがおすすめ。卵を使用せず、また空気含有率を低くしているので、スッキリとしつつも濃厚な味わい!
MAP:栗原1-6-22

エスキモーカフェ

たつみ亭

あだちの輝くお店セレクション
第3回 町の洋食

お客さんの約9割がハンバーグを注文するそう。お肉本来の味と食感を楽しめる。リーズナブルなところも人気の理由!
MAP:栗原1-6-22

たつみ亭

担々麺 琉帆(RuPaN)

あだちの輝くお店セレクション
第2回 町の中華 & 第4回 テイクアウトできる飲食店

小さい子どもから高齢の方まで幅広く担々麺を食べて欲しい!その思いから、担々麺の辛味はゼロから強めまで用意!化学調味料を使わず、自家製調味料にこだわった胡麻ダレと鶏ガラスープで合わせた、飲み干せるスープの担々麺です。
MAP:栗原1-18-8

担々麺 琉帆(RuPaN)

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