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公開日:2022年6月3日 更新日:2023年2月1日

10年後の“わたし”への手紙

【区制90周年記念企画】10年後の“わたし”への手紙

 

手紙の受付は終了しました。
5,000通を超える手紙をお預かりしました。たくさんのご応募、ありがとうございました。
区で大切に保管し、10年後にお届けします。

政策経営課 10年後の手紙担当

今年、足立区は100周年に向けて、新たな一歩を踏み出しました。

区では区制90周年を記念して、「10年後の“わたし”への手紙」企画を実施します。未来へ思いを馳せて、この記念の年に10年後の自分に宛てて手紙を書いてみませんか?
あなたが自分に宛てた手紙は、区で大切にお預かりし、区制100 周年となる10年後にお返しします。自分宛てでなく、大切な方へのメッセージでも大丈夫です。

募集に先立ち、区内在住の方などに実際に手紙を書いていただき、その内容や思いについてお話を伺いました。

 

 
ハト広場の特設ブースを設置しました

「二十歳の集い」会場で新成人から手紙をお預かりしました

令和5年1月9日(月・祝)に実施した「二十歳の集い」において特設ブースを設置。記念パネルの前で撮影した晴れ姿の記念写真とともに「10年後の自分への手紙」をお預かりしました。

 

足立区役所職員 市川美香さん

令和4年度に足立区役所に入庁。子どもの貧困・若年層支援課に配属され、日々業務に励んでいます。新社会人という新たなスタートを切った市川さんに将来についてお話を伺いました。

足立区役所職員 市川美香さん

- 手紙にはどんなことを書きましたか?

仕事のこととプライベートのことを分けて書きました。仕事に関しては、「区民の皆さんからも職員からも、頼られる人になっていますか」ということ。今はまだ自分のことで精いっぱいで、周りに頼ってばかりです。でも10年後には仕事に慣れてほかの職員から頼られるようになりたいし、仕事を通して区民の方と接する機会があるなら、区民の方からも頼られるような職員になっていたいと思います。
足立区役所に入ってから、一緒に働いている周りの皆さん、特に上司の方々をみていると、色々な方に頼りにされていることが伝わってきて、すごく「かっこいいな」と思うんです。自分も将来は後輩やほかの職員から頼られる職員になりたいですし、身近にいる先輩方から日々刺激を受けています。

 

- 現在はどのような仕事をしていますか?

私の所属している部署は「子どもの貧困対策・若年者支援課」という部署になります。実際に子ども食堂を見に行ったり、児童養護施設の子どもたちを対象としたワークショップに参加したりしました。ほかにも、子どもの貧困に対する支援を行う団体への補助金の支給や、そういった活動に対する寄付金業務に携わっています。
入庁してから半年以上たちましたが、まだまだその日の仕事をこなすことで精いっぱいです。ここまであっという間でしたね。

 

- 仕事にやりがいを感じるのはどんなときですか?

これまで、児童養護施設の子どもたちと触れ合う機会や、貧困の子どもに対して色々な取り組みをしている地域の人とお話する機会がありました。そういったつながりを通して、私たちの仕事が子どもたちの笑顔や成長につながっていると実感できたときですね。特に、ワークショップなどを通じて子どもたちの笑顔を直接見ることができたときはとても嬉しかったです。

 

- 手紙の中で、プライベートについてはどのようなことを書きましたか?

ざっくりなんですけど、「自分の選んだ道を肯定してほしい」ということを書きました。これからの10年間で結婚とか、出産とか、いろんな選択肢があると思うんです。その中で、自分がどの道を選ぶのか、正直今の段階では分かりません。
将来、私の周囲の人たちが色々な道に進んでいくのを見てうらやましく思ったり、自分の選んだ道を後悔したりすることもあると思うんです。10年後の私がどんな状況であれ、「自分が選んだ道が正しいんだよ」ということを10年前の私から伝えられたらな、と思って書きました。

 

【市川さん】手紙にはどんなことを書きましたか?

 

- 将来、叶えたい夢はありますか?

具体的にこれ、といった夢は今はまだないですね。10年後の自分の具体的な姿が浮かんでいると良いなとも思いますが、今はいろんな選択肢を残したいと思っています。もし結婚して子どもが生まれているなら、私の母のように子どもを溺愛しているような自分の姿が浮かびますし、結婚も出産も選ばないとしたら、バリキャリじゃないですけど、仕事一筋で頑張っている自分の姿が浮かびます。どんな未来になっているか、楽しみです。

 

- 実際、手紙を書いてみてどうでしたか?

書いていて楽しかったですし、書いて良かったです。こうして自分の将来を考えて、自分自身と向き合ういい時間になりましたし、すごく前向きになれました。自分の将来に「こうなりたい」と決まったものがありませんでしたが、逆に思い浮かばない方が、「まだ何にでもなれる」という意味で未来は明るいかなとも思います。
これからいろんな選択肢を自分で選ぶことができる、すごく幸せな環境にいるんだ、というのが手紙を書きながら感じたことです。将来、自分が出会う選択肢を楽しみながら選んで、10年後の自分を迎えたいですね。

 

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(株)ヤマサワプレス代表取締役 山澤亮治さん

廃棄寸前のデニムを購入し、新たな製品にリメイクして販売する「デニムプロジェクト」に取り組んでいる(株)ヤマサワプレスの山澤代表。10年後の目標や、これからチャレンジしたいことについて伺いました。

(株)ヤマサワプレスの山澤代表

 

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

とにかくイベントをやることが好きなので、10年後には荒川の河川敷で大きな音楽フェスをやりたいと思っています。手紙では、そこに向かってちゃんと進めているか、成果が出ているかと問いかけることを書きました。僕が子どものころから憧れている北野武さんも、2019年のあだち広報で「荒川でロックコンサートをやりたい」と仰っていたんです。それまでにつながりを作って、一緒にステージに立ちたいと思っています。

仕事に関しては、私たちが取り組んでいるデニムプロジェクトを日本だけでなく、世界に向けて発信していきたい。デニムのリメイクも洋服というカテゴリーを超えて、アートや家具といった生活に寄り添ったものをたくさん作りたいと思っています。僕たちが作ったものを長く使ってもらえるような取り組みを続けていきたいですね。

 

- デニムプロジェクトを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

私たちの会社では、店頭に並ぶ前の洋服を検品して、アイロンをかけてパッケージングする仕事と、試着で汚れてしまった洋服をきれいにして売り場に戻す仕事を27年続けてきました。

コロナ禍になる前くらいから、私たちが一生懸命納品した洋服が売れずに廃棄されている状況が目に付くようになってきて、もったいないと思っていたんです。

捨てられないようにと頑張って洋服をきれいにしてきましたが、売れずに大量に廃棄されているので、自分たちがやっていることに対する面白さがなくなっていました。そのときに、「自分たちが楽しめて、ワクワクすることをやりたい」と思ったんです。そこから、子どものころから古着が大好きだったこともあり、自分の会社の技術や設備を使って、捨てられる古着を再生する事業をやりたいと思うようになりました。

 

デニムをリメイクしてつくられたドレス

 

- 数ある古着の中で、なぜデニムを選んだのでしょうか?

2019年の6月にロサンゼルスに行ったとき、たまたまデニムが大量に廃棄されるという話を知って、それがリーバイス501でした。実は、リーバイス501は僕が中学生のときに始めてはいた思い入れのあるデニムなんです。そのこともあり、古着の中でもこの再生事業はリーバイス501に特化しようと思い、廃棄予定だった20tを思い切って購入しました。

この「デニムプロジェクト」をここまで続けることができたのは、うちの会社の「洗う」「補修する」といった技術や経験があるからこそだと思っています。「なぜ20tも一気に買ったのか」とよく聞かれますが、10t単位でしか買えなかったというのが理由です。デニムで何をしよう、ということをはっきりと決めていたわけではありませんでしたが、これだけ洋服をきれいにするリソースを持っているので、何とかなるだろうという自信を持って買いました。今ではこの廃棄されるはずだったデニムをジャケットやドレス、靴など、色々なものにリメイクしています。

 

- 今後、取り組んでいきたいことを教えてください

最初から「環境に良いこと」をやりたかったわけではありませんでしたが、だんだんと環境にやさしいビジネスになってきました。今は、デニムプロジェクトをきっかけに交流を持った人たちから「生地が売れ残ってどうしよう」という相談を多く受けています。どれもメイドインジャパンの良い生地ばかりなんですけど、物を安く作るために海外の生地を使われてしまうんです。色んな生地屋さんと組んで日の目を見ることができない生地を使った事業を始めたので、少しでも製品化させて、誰かに使ってもらえるようにしたいですね。

あとは足立区を盛り上げるようなことをやりたいと思っています。僕は荒川土手がすごく魅力的だと思っていて、アパレルや洋服とコラボしたイベントをやりたいとずっと考えているんです。皆がタンスの肥やしにしているもののフリーマーケットをやったり、足立区出身のアーティストを集めて音楽をやったり、お笑い芸人も多いのでショーをやったり。そうして色んな人たちが集まれたら良いなと思っています。実際、足立区以外のところでそういうことをやってほしいと声を掛けられることもあるんですけど、どうせなら僕が生まれ育った足立でやりたいと思うんです。最初にも言いましたが、そこで大好きな北野武さんと一緒のステージに立つことが僕の一番の目標です。

 

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放駒部屋 放駒親方(元関脇・玉乃島 )・松蘭さん

区制90周年の今年、六町に区内3つ目の相撲部屋が誕生。部屋を率いる親方と、今年新たに入門した力士に、部屋の未来や自身の目標を語ってもらいました。

放駒(はなれごま)親方

放駒親方:地域の皆様と喜びを分かち合いたい

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

やはり一番気になるのは「この部屋がどうなっているか」ということ。なので、そのことを中心に書きました。10年後とはいっても、僕はあと20年で定年。もう半分が経っています。それまでには地元になじみ、足固めをしておきたいです。それから、入門してくれる力士ももっと増やして、活気ある稽古ができるような部屋にしたいとも思っています。

 

- 親方として、弟子たちにはどう育ってほしいですか?

外でも通用する人間を育てたいということを一番に考えています。相撲界は一般社会とは違う部分がありますから、この世界から離れても通用できるような人間を育てたいですね。相撲の強さの前に、まずは人間としての強さを育てていきたいです。

 

- 新たに飛び込んだ六町というまち。これから地域とどのように関わりたいですか?

コロナ禍で今はまだ何もできていませんが、これから色々なイベントにぜひ呼んでいただきたいと思っています。直近で言うと、小学校の運動会に呼んでいただいたり、わんぱく相撲に呼んでいただいたりしているので、そういうところにできるだけ顔を出したい。そこで人とのつながりをたくさん作って、さらに活動の範囲を広げていきたいと思っています。地域とのつながりの中から「放駒部屋で相撲をやりたい」と言って入門してくれる子どもが出てきたらうれしいですね。

本当は地域の皆様に稽古を見てもらいたい気持ちはありますが、この状況なので歯がゆい思いをしています。本当は稽古部屋をガラス張りにしたかったんですよ。見てもらいやすいように。ただ、それは危険があるようなので、あきらめました。コロナ禍が落ち着けば、ぜひ皆様に稽古を見に来てほしいです。

 

- 春に高校卒業して入門した松蘭さん。期待することは?

まだ柔道の癖が抜けない部分がありますが、それが抜けると面白くなる。柔道は投げの動作が主ですが、相撲は前に押していく、というところで違いがある。その辺のギャップがまだ埋まっていないですね。均整のとれた体つきをしていますし、しっかり稽古を積んでいけば、彼が目標とするウルフ(千代の富士関)みたいになることも十分可能だと思います。

松蘭本人にも言っていますけど、将来的には彼がこの部屋を背負って立っていく。兄弟子たちと比べるときついことを言うこともあるかもしれませんけど、そのあたりも本人は理解してくれていると思います。そういう信頼関係をどんどん築いていきたい。

相撲はやったことない人間が入ってきてすぐ勝てるような競技ではありませんから、少し歯を食いしばって辛抱してもらって。一年ぐらいは松蘭にとって厳しい時期が続くかなと思っています。その辺もしっかり話し合いながら稽古を積ませていきたいと思っています。

松蘭はこの10年が人生を左右すると思って、必死にやってもらいたいですね。髷を切ってからは、アマチュアでしか相撲ができませんから。

放駒親方:「人としての強さ」を身につけた力士を育てる

- おかみさんが六町を気に入って部屋を開いたと聞きましたが、実際に住んでみてどうですか?

よその町に行く必要もないくらいお店がそろっていますよね。街並みもきれいでとても生活しやすく、地域の皆様も温かく受け入れてくださって。ここ六町を選んで本当に良かったと思っています。

 

- 相撲部屋としては、やはり横綱や大関といった力のある力士を輩出することが目標なのでしょうか?

もちろんそういった番付の高い力士を輩出したいと思っています。ただ、私はそれよりも幕内優勝力士を一回でもいいから出したい。それでここ六町で優勝パレードをしたいんです。地域の皆様に喜んでいただくことができたら、このまちに来た意味があるし、貢献できた、と実感できると思うんです。そんな気持ちと覚悟でここ六町に来ました。

 

 

 

松蘭(しょうらん)さん

松蘭さん:ひたむきに、前向きに- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

「相撲を怪我なく続けられているか」ということと、「辛いことがあっても、下を向かずに前を向いて、元気よく生きていてほしい」という思いを書きました。

力士として、まずは十両*1になるのが目標です。関取*2まで昇進するのは憧れでもあるので。もし十両にたどり着くことができたら、さらに上をめざしていきたいと思っています。もちろん、昇進するのは簡単なことではないので、まずは日々の稽古から。親方や兄弟子たちからアドバイスをもらうことがたくさんあるので、言われたことを意識してこなすようにしています。最近言われたことは「全体的に体を小さくして、頭と手と足を同時に出して、前に出る」ということ。一つ一つしっかり取り組んでいきたいです。

目標とする力士は、「ウルフ」という愛称でも親しまれた千代の富士関。あの鋼のような身体に少しでも近づけるよう頑張ります。

 

*1...大相撲の番付上の階級のうち、幕内に次ぐ上から二番目の階級。この階級から一人前の力士として認められる
*2...十両以上の力士のこと

 

- 相撲を始めたのは今年からと聞きました。柔道を続けるという選択肢もあったと思いますが、相撲の道に進むことを決断したきっかけは?

高校を卒業するまでは柔道をずっと続けてきて、ありがたいことに大学から柔道で進学する推薦の話もいくつかいただいていました。でも、ここで一度区切りをつけて、新しいことにチャレンジしたいという思いもあったので、思い切って放駒部屋に入門することを選びました。

相撲は小さいころからずっと観ていたので、「相撲をやりたい」という思いは昔からあったんです。父が整体師の仕事をしていて、そこで相撲界とのつながりがあったことも相撲の道を選んだ一つのきっかけでした。放駒部屋に入った理由は、なんといっても親方の人柄に惚れて。部屋の雰囲気もとても良くて、兄弟子たちはときに厳しく、ときに優しく丁寧に相撲や部屋の仕事を教えてくれます。この部屋で、人としても、力士としても成長していきたいです。

 

- 六町での生活はどうですか?

とても心地良いですね。浴衣でまちの中を行動していると、地域の方々がフレンドリーに声をかけてくれるんです。六町に私たちが受け入れられていることが実感できて嬉しいです。

今はサウナに行くことが趣味で、この近くにサウナがある銭湯を見つけたんです。時間があるときに兄弟子たちと行ったり、一人で行ったりしています。足立区には銭湯がたくさんありますよね。ぜひ色々行ってみたいと思います。

区内3つ目の相撲部屋「放駒部屋」

 

 

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関原小学校 小野叶翔 さん・杉村花恋さん

足立区と同じ昭和7年に誕生した関原小学校。その関原小学校に通う児童の中で、「10歳」という節目の歳を迎える4年生の二人に話を聞きました。

小野 叶翔(おの かなと)さん

- 手紙は4年生みんなで書いたと聞きました。実際に書いてみてどうでしたか?

クラスのみんなと将来のことを話し合いながら、楽しく書くことができました。手紙の内容が思いつかなくて、書き進めることができなかったときに、友達の夢を教えてもらって「その夢もいいな」と思うこともたくさんありましたし、自分の夢を改めて見つめ直すきっかけにもなりました。

小野叶翔さん:夢を叶えるため、辛いことがあっても諦めないで頑張りたい

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

将来は「人を助ける仕事」に就きたいと思っています。なりたい職業がいくつかあったので、手紙に何を書くか悩みましたが、最終的には「消防士になれていますか?」ということを書きました。おじいちゃんが消防士だったこともあり、火事の現場で活躍する話をたくさん聞かせてくれて、かっこいいと思ったんです。

火の中にも恐れずに立ち向かっていって、一人でも多くの人を助けられる消防士になりたい。消防士の中でも、特にハイパーレスキューになりたいと思っています。普通の消防士では入れないような過酷な現場でも人を助けることができるプロ中のプロに、自分もなりたいです。

この夢を叶えるためにも、つらいことがあっても諦めないで頑張ります。

 

- 20歳になってやりたいことはありますか?

車の免許を取れる歳になっているので、車の運転をやってみたいですね。車のゲームが好きで今もよくやっているんです。かっこいい車に乗って、たくさん出かけたいですね。泳ぐことも好きで、今はスイミングスクールで練習を頑張っています。20歳になっても楽しく泳ぐことは続けていてほしいです。

それから、育ててくれたお父さん、お母さんとお酒を飲みに行きたいです。大人になるまで育ててくれた両親に、感謝を伝えたいと思っています。

 

杉村 花恋(すぎむら かれん)さん

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

将来の夢が看護師になることなので、「夢に向かって頑張っていますか?」ということを書きました。もし、看護師とは別の道を目指しているのであれば、そのときに描いている目標に向けて頑張っていてほしいという思いも込めました。書き始めは少し難しく感じましたが、夢が決まっていたこともあって、書き進めていくとすんなりと書ききることができました。

杉村花恋さん:10年後の自分が、今からとても楽しみです!

-どうして看護師になろうと思ったのでしょうか?

「将来、どんな仕事をやろうかな」と悩んでいたときに、看護師だったおばあちゃんが人の命を助ける仕事のことを教えてくれたんです。このコロナ禍で、最前線で頑張っているかっこいい仕事だって。そのときから、私の夢はたくさんの人を助けられるような看護師になること。困っている人がいたらすぐに助けたいですし、1人でも多くの人の命を救うことができたら良いなと思っています。

夢を叶えるために、まずは勉強をすることが大事だと思うので、苦手な教科もありますが、将来のためだと思って頑張りたいです。

 

- 10年後、どのような20歳になりたいですか?

子どもに優しく、そして困っている人の手助けをできるような20歳になりたいと思っています。いつか自分でお金を稼ぐことができるようになったら、家族と一緒に買い物にも行きたいです。

それから、今、習い事でダンスをやっていて、それがとても楽しいんです。看護師になる夢に向かって頑張るのももちろんですが、それだけじゃなくて、ダンスも趣味として楽しめるような大人になりたいと思っています。

10年後の自分のことを考えながら、楽しく手紙を書くことができました。今から20歳の自分がとても楽しみです。

 

 

 

 

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建築家 青木 公隆さん

「空き家が増えてきたこの時代に対して、建築家はどう応えていくべきか考えている」と語る青木 公隆(あおき きみたか)さん。10年後の自身の活動や思いについて、話を聞きました。

 

建築家 青木公隆さん- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

10年後と言っても、10年後の町並みは今とあまり変わっていないと思います。一方で、町並みは変わらないけれど、人口は減少して空き家が増えていく。町並みは変わらないとしても、新しい人が来るきっかけをたくさん作りたいと思っていて、その一つが僕の活動の空き家の利活用になるかなと思っています。「空き家の利活用の取組みが、10年後、新しい人をたくさん呼び集めていますか?」と、そんな問いかけから10年後の手紙を書き始めました。

空き家利活用を進めて、この千住地域を人が集まり、個人でも活躍できるまちにしていきたいと思っています。「せんつく*3」のプロジェクトを始めたときも、個人で飲食店や料理教室、ハンドメイド雑貨などを運営する方々などの色々な方と一緒にスタートできました。そのときに、個人で活躍できる場所や空間が空き家から生まれる可能性があると思いましたね。空き家ならではの魅力があることももちろんですけど、一般的な相場と比較的しても、家賃を抑えることができるというメリットもあります。個人個人が活躍できる場所が空き家から生まれて、そのような場所が10年後に向けて、もっと増えていくと良いなと思っています。

*3...青木さんが空き家となっていた民家を活用してオープンした、複数の店舗が入居している複合コミュニティスペース(所在地...千住寿町14-7)

 

- 建築家として活動するうえで、なぜ「空き家」の分野を選んだのでしょうか?

今日に至るまで、戦前、戦後、高度成長期などといったように、日本には色々な時代がありましたよね。建築家という職能は、「その時代にどのように応えていくべきか」を常々考えて行動することと思っています。例えば、戦後では、国家の将来像を示す建築や都市空間を構想して、戦後の復興を支える建築家としての活動があり、バブル期以降には商業的な建築に移り変わった時代もあります。時代の節目で社会を支えた建築家が必ず存在しています。

今後、人口が徐々に減少していきますが、この時代で建築家として何ができるかって考えたときに、空き家や空き店舗などによって、市街地の空洞化が進行する時代がもう始まっていて、その社会課題に応えられる建築家になりたいと思っています。つまり、建築家としてどのように時代に応えるかという問いに対して、そのひとつが「空き家利活用」という活動であると思っています。そう思って空き家利活用に取り組んでいます。

 

- 10年後、空き家の利活用や青木さん自身の活動はどうなっていると思いますか?

繰り返しになりますが、人口が減少し、空き家の増加は避けられません。その中で、空き家問題は、個人の活動だけで解決するかというと、当然難しいです。その解決に向けては、国や自治体が、建築や都市などに関わる様々な制度や仕組みを根本から変えることが必要不可欠であり、そうしないと空き家問題は解決しないと思っています。

空き家を放置して老朽化が進む危険な空き家は、早く解決する必要があって、ディベロッパーなどの取組みによって、安心安全な住宅や町に整備されることも良いと思う反面、解決策がそれだけだと多様な町並みではなくなる気がします。僕としては、小さい活動でも良いので、空き家利活用を進めて、その場を拠点に、まちづくりという大きな取り組みに繋げていくことが大事であると思っています。

その中で、僕個人の目標は、千住地域に「せんつく」を10拠点つくること。また、空き家利活用の話と矛盾するように聞こえるかもしれませんが、10拠点の「せんつく」のうち、いくつかは新築で建ててみたい。空き家利活用はもちろん大事ですが、一番大事なのは空き家利活用であれ新築であれ、「まちが正しく更新されていくこと」だと思っています。多様な人々が集る場所や、身近に存在する暮らしを支える個人のお店とか、そのような場所が「せんつく」を通じて多く生まれたら良いなと思っています。

空き家となっていた民家を活用したコミュニティスペース「せんつく」

 

- 「空き家の魅力」とは何なのでしょうか?

僕が運営するホームページのトップに「EMPTY is FUN」って書いてあります。「空っぽは楽しい」ということです。例えば、僕が幼少期に育った茨城県守谷市の町並みは区画整理されて、町並みとしては美しく仕上がっています。他の地域で実施されている再開発事業などもしっかりと計画が立てられて、統一されたきれいな建物が並ぶ、完成された町並みです。一方で、千住地域にはたくさんの路地があって、建物のサイズもデザインもバラバラで、そして、空き家の増加によって市街地の空洞化が進行しています。千住地域の空き家利活用やまちづくりって、「空っぽだからこそ、新しいことが生まれる気がする」という感覚が面白いと思うし、千住地域の町には、その新しいことを受け入れる寛容さがある気がします。地域にとっては、空き家であることがすでにマイナスなので、小さな取組みでもプラスになりますし、活動する方々を勇気付けます。「空っぽは楽しい」とか、「EMPTY is FUN」は、良い言葉だなと思いますね。

空き家は従来の不動産市場からこぼれ落ちてしまった建物です。空き家の所有者さんと一緒に、その空き家をどのように活用して、人の集う場にしてまちづくりにつなげることを今後も考えなくてはいけないし、不動産市場への回復を目指すという点ではまだ中々難しい。そのためにも制度や仕組みに新しいアイデアが必要です。でも、少しずつですが、空き家のイメージが変わってきている気がしますね。

 

 

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足立区パートナーシップ制度 第一号宣誓者 長村さん・茂田さん

足立区パートナーシップ・ファミリーシップ制度*4の開始日にパートナーシップを宣誓。昨年子どもが生まれ、新たな生活をスタートさせた2人が描く未来とは。

*4...3年4月に開始。戸籍上の性別にとらわれず、お互いを人生のパートナーとして生活を共にすると約束した方が宣誓をし、区が受領証明書・受領証明カードを交付する制度

足立区パートナーシップ制度 第一号宣誓者 長村さん・茂田さん

長村(ながむら)さん

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

やっぱり子どものことを書きましたね。10年後は子どもも小学生になっていて、きっと色々理解できるようになっている。そうすると、自分の家がほかの家と違うことに疑問を持つこともあると思うんです。「学校で家族のことをどう話しているのか」とか「本心では家族のことをどう思っているのか」とか、自分に宛てたというよりは、子どもに宛てた手紙になってしまいました。

この手紙を受け取るとき子どもは思春期で、隠し事とか親に言いづらい事を抱えていると思うんです。そんな子どもに対してどう接したらいいか悩んでいる自分の姿が想像できますね。

母親が二人で育てているということを、子どもが学校の先生とかクラスメイトに必ずしも話す必要はないけれど、隠したくなるような気持ちになる社会ではあってほしくない。「ママ二人で育てている家庭はたくさんあるよね」と言えるような10年後になっていたら良いなと思います。

 

- お子様とのこれからについて教えてください。

子どもにはやりたいように、好きなことをやっていてほしいし、自由に夢見ることができたら良いと思っています。好きなことを伸ばしたらいいんじゃないかな。小さいうちからやりたいことを選ばせてあげたいと思っています。自分で選択肢の中から選ぶことができるというのは、責任を持つということですからね。自分がやろうと思ったことに対しては、どこかゴールを決めてやれる子になっていてほしいですね。

私のやりたいことに付き合ってもらおうとも思うけど、まずは子どものやりたいことを優先したい。私は子どもと一緒に旅行をしたいと思っていて、いろんな風景を見に行きたいですね。あとは一緒に料理をしたい。食べることは一生のことだから。自分が食べるものをちゃんと作れるようになっていたら、将来的にも役に立ちますし。それで本人も楽しんでくれたらうれしいですね。

 

長村さん:より良い社会のため、未来へつなぐ

 

- セクシュアルマイノリティの人たちにとって、10年後の理想の社会とは?

社会には急激に変わる力があると思うんです。ただ、それにはやっぱり法律の整備という壁がある。同性婚の法整備ができたら世の中がぐっと変わると思うんです。法律ができるまで、まだまだ時間がかかるとは思いますが、近年になって、「セクシュアルマイノリティの人が増えているように感じている」という声を聞くようになりました。実際には増えているわけではなくて、声を出しやすくなってきているんです。子どもを持つ同性カップルも増えてきていて、10年後には今よりずっとLGBTQ*3ファミリーがたくさんいることは断言できます。社会全体で良い流れが来ていると思いますね。

ただ、まだ道は半ば。少しでも多くの人が幸せに生きていくためにも、自分たちにできる活動は続けていきたいと思っていますし、一緒に声を上げる人が増えてくれたらうれしいですね。そして、少しずつでも社会がいい方向に変わっていってほしいと思います。

*5...Lesbian(レズビアン) (女性同性愛者)・Gay(ゲイ) (男性同性愛者)・Bisexual(バイセクシュアル) (両性愛者)・Transgender (トランスジェンダー)(生まれたときに割り当てられた性別と、自分が認識している本来の性別が一致していない人)・Questioning (クエスチョニング)(自分自身のセクシュアリティを決められない・決めない・分からない人)の頭文字)

 

- 長村さん、茂田さんのお二人はメディアにもご登場されています。どのような思いでお話をされているのでしょうか?

今こうして困っているセクシャルマイノリティの人が存在している、ということを知ってもらわないと、私も私の子どもも、私の友人も困ってしまう。声を上げないと私たちが今、困っているという現実が変わらないんです。子どもがいる同性カップルはセクシャルマイノリティのなかでもさらにマイノリティ。子どものことを考えたら、自分たちのことを隠そうと考える人がほとんどです。だから私たちが声を上げないと状況は変わっていかないと思って、こうして活動をしています。

私たちがこうして顔を出して話をしているのは、次の世代で声を上げる人が出てきてくれるという希望を持っているからでもあるんです。今はYouTubeやTwitterといったいろんな媒体があって、そこでセクシャルマイノリティのことを発信している人もたくさんいる。顔を出して発信できる人がもっと増えれば、たくさんの人にセクシュアルマイノリティのことを知ってもらう機会が増えるし、困っていることをより分かってもらえるようになる。そういった意味で、私たちが今やっていることは、次世代の同じような悩みを抱える子たちのためにもなると思っています。

 

茂田(もだ) さん

- 手紙にはどのようなことを書きましたか?

書きたいことは色々ありました。今はコロナ禍の真っただ中ですが、10年後がどういう世の中になっているのか気になります。少なくとも、コロナが身近な治療で治る病気になっていてほしい。後遺症も出ないようになっていてほしいし、もしかかってしまったとしても普通に「お大事にね」と言える、みたいな。コロナ禍になってから、人と会うことが難しかったり、海外に行くにも制限があったり、我慢をすることが増えたと思います。10年後は、コロナ禍になる前みたいに、普通に外に出ることができたり、みんなで一緒にご飯を食べたりできるようになっていてほしいですね。

私たちのことであれば、「同性婚がどうなっているか」ということを書きましたし、子どものことで言えば、「この手紙を読む前日、一緒にした会話は何?」といったことを書きました。もしかしたら喧嘩しているかもしれないですね。(笑)

 

- セクシュアルマイノリティの人たちにとって、10年後の理想の社会とは?

10年あれば、同性婚の法律は成立しているんじゃないかなと思うんです。ただ、成立していたとしても、社会全体のセクシュアルマイノリティに対する意識を変えるまでには至っていないと思います。それでも、法律ができるということは社会的に認められるということ。存在が法律で認められるのは、とても大きいことなんです。

10年後には、セクシュアルマイノリティに対して思うことがあっても、それを口に出すわけでなく、「法律で決まっているからね、そういう人たちもいるよね」という考えが当たり前になっている社会になっていてほしいです。

茂田さん:より良い明日のため、今できることを

- 10年後、どのような家族になっていたいですか?

10年後、子どもは小学4年生。きっと好きな子がいたり、何かに夢中になっている時期だと思うんです。警察官になりたいとか、野球選手になりたいとか、将来やりたいこととかがあって、そういうものに夢中になっている姿を一番近くで応援したい。それから、体験することは一緒にやりたいですね。動物園に行くとか、海に行くとか、絵を見るとか。小さいころだと本人は覚えてないかもしれないけど、大きくなったときに写真を見たりして思い出を話すのもきっと楽しいですよね。

家族の時間を大切にしつつも、自分の時間もきっと必要だから、その時間を尊重しつつ、距離感がちゃんとしている家族にしていきたい。子どもは子ども、私は私、長村は長村といったように。もちろん一緒に住んでいるし、家族だけど、10年後は子どもも含めて一人ひとりそれぞれ自分の時間を作ることができるころだと思うし、一人ひとりが良い意味で家族としていられたら良いですね。

 

- 茂田さん、長村さんのお二人はメディアにもご登場されています。どのような思いでお話をされているのでしょうか?

先頭に立って活動しているというような意識は全くなくて、自分たちにできることをやっているつもりです。何のためにやっているかと言えば「よりよい明日のため」なんですけど、一番は「可視化」が大事だと思っているからなんです。今まで活動してきて分かったのは、「いる」と声を上げないと、「いないもの」とされてしまうということ。5年くらい前、地方自治体に「パートナーシップを検討するか」といった質問をしている雑誌を読んだんですけど、その中に「自分の自治体の中から当事者の声が無いから何とも言えない」とか、場合によっては「うちの地域にはいないかもしれない」みたいな回答もあって、声を上げないとこういうことになるんだと。だから「可視化」が必要だということが分かったんです。何かに出るときも、モザイクがあると結局誰なのかわからないし、場合によっては悪い人に見えたりするので、できる限り「本当にいる人」として、顔を出して「実際にいますよ」と分かるようにしています。

私たちがいるということは、ほかにも同じような人がいるんです。一人でも見えるかどうかでやっぱり大きく違う。まずは社会の中にいることを知ってもらう。これが最初。次に困っていることを知ってもらう。そして、困っているんだったら解決しよう、という流れを作っていきたいと思っています。

 

 

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10年後の自分に手紙を書いてみませんか? 受付は終了しました

 

あなたも、10年後の自分に手紙を書いてみませんか?

 

応募手順

対象

区内在住の方

 

用意するもの

  1. 便箋
  2. 封筒A(切手不要)...自分の氏名と10年後に届く宛先を記入
  3. 封筒B(所定の切手が必要)...封筒Aが入る大きさの、区役所行きの封筒 

 

【郵送料金について】

  • 自分宛の手紙(封筒A)には、切手を貼る必要はありません。
    10年後、区が切手を貼ってお送りします。
  • 足立区役所宛の封筒(封筒B)には、切手を貼って投函してください。

 

手紙にはどんなことを書けばいいの?

例えば、こんなことを書いてみてはいかがでしょうか。

  • 今、自分はこんな感じ
    例:今は中学2年生で、バスケ部の練習をがんばってます!
  • 将来の夢
    例:10年後、大人になった息子の運転で、家族旅行をしたいなぁ。
  • 10年後の足立区は、どんなまちになっているといい?
    例:将来自分で会社を作りたいので、チャレンジしようと思っている人がたくさん集まるような面白いまちになっていてほしい!

 

注意事項

  • 10年後に区から送り返す手紙(封筒A)は、定形郵便(25g以内)に限ります。
    ※ 定形郵便 長辺23.5cm以内、短辺12cm以内、厚さ1cm以内の郵便物
  • 保管期間中の返却や、返送先の住所変更などの個別対応はできません。
    10年後、宛先不明で区に戻ってきた手紙は、一定期間保管します。
    窓口でご本人(またはご家族)であることが確認できた場合にお渡しします。
  • 封筒Aがないものや、小包・冊子など、手紙以外のものは、10年後に区が対応できません。
  • PICK UP! あだちの【魅力】や【お役立ち情報】をわかりやすくお届け
 

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