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公開日:2024年3月8日 更新日:2024年3月8日

サッカー日本女子代表・山下杏也加選手

【足立区教育委員会児童・生徒褒賞】先輩からのメッセージ サッカー日本女子代表・山下杏也加選手

足立区出身で、日本代表として活躍している女子サッカー選手の山下選手。山下選手も平成19年度にチームで児童・生徒褒賞を受賞しています!今回は、先輩からのメッセージとして、受賞当時のエピソードや今後の目標についてお話を伺いました。

夢や目標に向けて頑張ってほしい 

小学6年生のときに東京都の大会で準優勝して、教育委員会褒賞をいただきました。うれしい気持ちはもちろんありましたが、それ以上に当時は目立つことが苦手で、名前を呼ばれてトロフィーをもらいに行くのがすごく恥ずかしかったです(苦笑)。
今回受賞された皆さんのことはすごく尊敬しています。何かに向かって努力された結果ですし、その経験を次の夢や目標に生かして、これからも頑張ってほしいです。

もしかしたら、これからくじけそうになる経験をすることがあるかもしれません。そんなときは、無理をせずに目を背けても良いと思います。目を背けたときに初心に戻って、何かを始めたばかりのころの楽しさを思い出してみてください。そうすると「また頑張ろう」と思えるきっかけになると思います。

オンライン取材の際に手で足立区マークを作ってくれました!

フォワードから始まったサッカー人生

元々水泳をしていたんですが、兄の影響で小学2年生のときにサッカーを始めました。最初は「KSC加平サッカースポーツ少年団」で男子と一緒にプレーして、小学5年生で「東加平キッカーズ女子」に入団しました。点を取って褒められたいという思いがあり、前線でずっとゴールを狙っていたので、ポジションは自然とフォワードでした。

当時はサッカーを楽しむことしか考えていなかったですね。中学生のときに都内のリーグ戦で優勝したんですが、「優勝をめざしていた」というよりは「楽しくプレーしていたらいつの間にか優勝していた」という感じです。

「負けず嫌い精神」で葛藤を払拭

「負けず嫌い精神」で葛藤を払拭

小・中学生のときはずっとスタメン(試合のスターティングメンバー)で楽しくプレーしていました。でも、高校に進学してがらりと変わりました。高校にはサッカー推薦で入学しましたが、同じポジションにすごく上手い選手がいて、初めて「試合に出られない」という経験をしたんです。そんなときに監督から「ゴールキーパーをやってみないか」と、話を持ちかけられました。

最初はゴールキーパーというポジションにすごく抵抗がありました。点を取って褒められるポジションではないですし、なかなか前向きになれなかったんです。でも、「スーパー少女プロジェクト」に高校2年生で初めて選出されたときに意識が変わりました。全国から選ばれた中学・高校生のゴールキーパーが招集されて、その中に自分より小柄ながらも技術のある選手がいたんです。「この人にできるなら自分にもできるんじゃないか」って、そこで私の「負けず嫌い精神」のスイッチが入りました(笑)。

結局のところ、私が今でもサッカーを続けられているのも、目の前のことをあきらめないという「負けず嫌い精神」が根底にあるからだと思います。

また、誰にでも挫折はつきものですけど、私の場合は褒められることが好きなので、それで気持ちを切り替えることができたんだと思います。高校の新人戦のPK戦で、相手チームの最後の1人が蹴ったボールを自分が止めたときに、仲間が駆け寄ってきて褒めてくれたことがうれしくて。それから「ゴールキーパーとして頑張ろう」と決心できました。

正直な話、私は元々走ることが得意ではないので、比較的走る距離が少ないゴールキーパーになることで走ることへのストレスから解放されましたし、先輩の真似をしていたらだんだん褒められることも増えたのもあり、ゴールキーパーを続けられたんだと思います。

レベルの高さを痛感したプロ1年目

プロ1年目は「日テレ・東京ヴェルディベレーザ」に入団しましたが、同じチームに岩清水梓さんや阪口夢穂さんなど、なでしこジャパン(日本女子代表)で活躍する選手がたくさん所属していました。当時は「こんなにすごい人たちと一緒に練習しても良いのか」とプレッシャーを感じて、練習に行くのが嫌になるくらいでした。ありがたいことに私は入団直後から試合に出させてもらえましたが、何が自分の強みで試合に選ばれたのか分からなくて、正直、前向きな気持ちを作るのは難しかったです。「ほかに上手い選手がいるのになんで私なんだろう」って。

自信を持てるようになったのは、佐々木則夫元監督になでしこジャパンに初めて選んでいただいたときからですね。そのときはテレビ越しに見ていた選手と一緒にプレーできると思っていませんでしたし、「自分が世界の舞台をめざしても良いんだ」と、そう思えたんです。

先輩の言葉で肩の荷が下りた

東京オリンピックのとき、初めてのオリンピックということもあり、プレッシャーやストレスで不安定になり、思い詰めてしまっていた時期がありました。そんなときに当時代表メンバーだった岩渕真奈さんから「うまくやりな」と声をかけてくれました。とてもシンプルな言葉ですが、当時の自分にはすごく響いて、肩の荷がスッと下りたんです。この言葉は今でも心に残っていて、何かにつまづきそうになったときにいつも思い出して元気をもらっています。

INAC神戸 レオネッサGK・山下選手

目標は金メダル

2024パリオリンピック出場!私がゴールキーパーに転向した平成23年に、ワールドカップで日本が優勝して、そこで特に活躍したのが澤穂希さん(大会得点王、最優秀選手)でした。これを契機に、澤さんを筆頭として日本で女子サッカーが一気に注目されるようになったんです。「すごい影響力だな」と、衝撃を受けたことを今でも覚えています。私も澤さんのように活躍して、大事な局面で「ここに山下がいれば!」と、日本のサポーターの皆さんに信頼されるような選手になりたいです。

昨年のワールドカップが自分にとって2回目でしたが、着実に世界のレベルも上がっていると実感しています。その大会で目標としていたベスト8を達成することができたことは良かったですが、これに満足せず強いライバル国に勝利できるように努力し続けます。

今、日本の女子サッカーへの熱が落ち着いてしまっていますが、もう一度女子サッカーを盛り上げるためにも、パリオリンピックで自分が活躍して金メダルを獲ります。

 

プロフィール


山下杏也加プロフィール

山下 杏也加(やました あやか)28歳

平成7年生まれ、足立区立青井小学校・青井中学校出身。小学2年生のときにKSC加平サッカースポーツ少年団でフォワードとしてサッカーを始める。その後、東加平キッカーズ女子を経へ て、中学進学と同時に足立LFCに入団。村田女子高等学校(現・広尾学園小石川高等学校)時代にゴールキーパーに転向。平成26年に日テレ・東京ヴェルディベレーザに加入し、同年3月のなでしこリーグ開幕戦でリーグ初出場。平成27年~令和元年でリーグ・ベストイレブンを受賞。令和3年にINAC神戸 レオネッサに移籍。同年に発足した日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)では初代最優秀選手賞を受賞。平成27年になでしこジャパンに初選出され、令和5年のFIFA女子ワールドカップでは日本のベスト8進出に大きく貢献した。

写真提供:INAC神戸レオネッサ

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