ここから本文です。
公開日:2026年1月1日 更新日:2026年1月1日
足立区出身で早稲田大学バレーボール部、SV.LEAGUE 東京グレートベアーズに所属する川野琢磨(かわのたくま)選手。
中学時代は区立渕江中学校の男子バレーボール部に所属し、全日本中学校選手権大会優勝を経験。各年代で輝かしい実績を残し、日本バレーボール界の将来を担う存在として注目されています。
「勇気や希望を届ける選手になりたい」と、さらなる飛躍を誓う川野選手に少年時代の思い出や今後の目標についてお話を伺いました。
撮影協力:渕江中学校
バレーボールを始めたのは6歳のとき。父に連れられて、気づけばバレーボールコートに立っていました。自分から「やりたい」といった記憶はないのですが、気がついたらボールを追っていました。父は元バレーボール選手で身長185cm、母も175cm。僕も小学生のころから周囲よりも背が高く、バレーボールの道に進むことは、半ば必然だったのかもしれません。
バレーボールを始めて入ったチームは、葛飾区の「東金町ビーバーズ」。全国でも名の知れた強豪チームですが、当時の僕はそんなことも知らず、ただ夢中でボールを追いかけていました。とにかく楽しむというのがチームの方針。勝ち負けより、仲間と遊ぶようにボールをつなぐのが楽しかったです。上手い子ばかりの中で目立つ存在ではなかったけれど、練習に行きたくないとか、辞めたいと思ったことはありませんでした。
中学生になり、本気でバレーをやりたいと思い、区の学校選択制度を活用してバレーボールの強豪校である渕江中学校に入学しました。そこで出会ったのが、恩師である日笠智之(ひがさともゆき)先生です。日笠先生の指導はとにかく情熱的。生徒に寄り添い、一人ひとりの成長を見守ってくれました。「鉄の根性」をチームの合言葉に掲げ、どんなときも諦めない姿勢を教えてくれました。
加えて、1年生のころは、正直あまり目立つ存在ではなかったと思います。運動能力が高いチームメイトが多かったし、僕自身、控えめな性格で積極的に人前に出るタイプではなかったので。でも、2年生のときに学級委員や文化祭で演劇の主役を経験して、人前に出ることに少しずつ慣れていきました。自分の行動に自信がついたことで、バレーボールでも積極的に点を取るプレーができるようになりました。
中学生活は、コロナ禍と重なって大会が次々と中止になり、モチベーションを保つのが難しい時期もありました。しかも僕自身、2度も新型コロナに感染してしまったのですが、そのたびに背が伸びて戻ってくるという不思議な成長期でした(笑)。2年生のときには、自転車で転んで顔面を怪我して、3週間練習を休んで復帰したら、身長が7cm伸びていたなんてこともありました。結局、身長は中学3年間で21cm伸びて、卒業するときには188cmになりました。
中学時代の一番の思い出は、やっぱり3年生のときに全国優勝したことです。
3年生になるまでは、僕とは別にチームのエースがいたのですが、その彼が全国大会を前に、靭帯(じんたい)を切る大怪我で離脱してしまいました。そのため、僕が攻撃の中心を担うことになり、試合ではすべてのトスが僕に集まるようになりました。「仲間がつないでくれたボールは絶対に決める」と、その一心でスパイクを打ちました。決勝はフルセットになって、相手のマッチポイントの土俵際まで追い込まれましたが、逆転勝ち。最後まで勝利を諦めない気持ちが優勝につながったと思います。優勝という結果ももちろんうれしかったのですが、それ以上にチームでつかんだ勝利ということが何より誇らしかったです。
全国大会で、忘れられないのは日笠先生のユニークな指導です。決勝戦の試合前、1時間の練習時間がありましたが、緊張している僕らを見て、日笠先生が「お前ら寝ろ」って。他校の人たちが練習を見に来ている中、体育館に大の字になって眠ったんです(笑)。でも、あの「睡眠練習」がチームの空気を柔らかくし、試合にリラックスして挑むことができた。僕らは寝てしっかり休息した、という不思議な自信が勝利につながった気がします。

▲日笠智之先生(左)、川野琢磨選手(右)
川野君のことを思い返すと、本当に「運の強い人」だと感じます。中学時代、怪我や病気などの困難があっても、それを糧にして一回りも二回りも大きくなって戻ってくる。中学3年生の全国大会で、絶体絶命の場面をひっくり返して優勝をつかんだ姿は、まるで神がかっていました。高校では「春高バレーを3連覇する」と宣言して、本当に実現してしまうのだからたいしたものです。
けれど、ただ運が強いというわけじゃない。いつも一生懸命で、人のために動ける。そんな日々の姿勢が運を引き寄せていると感じます。私の40年の指導生活の中で、シニアの日本代表に名を連ねたのは川野君が初めて。教え子がここまで駆け上がってくれたことが誇りです。世界の舞台で活躍し、メダルを手に足立区に帰ってくる日を心から楽しみにしています。

高校はバレーボールの強豪校・駿台学園高校へ進学しました。当時の目標は、「春高バレー*1で3連覇」でした。
春高バレーに初めて出場したのは1年生のとき。5セット中の2セットを先取され、絶体絶命の場面で監督から声がかかり、途中出場しました。そして、試合の流れを変えるプレーができて逆転勝ちを収めました。あの瞬間の会場の熱気は、今でも忘れられません。それからレギュラーとして抜擢(ばってき)されるようになり、仲間とともに目標だった春高バレー3連覇、そして3年生のときにインターハイ*2・国スポ*3・春高バレーの3冠を達成しました。
高校では基礎練習を大切にしたことで、苦手だったレシーブが上達し、スパイクの技術も習得しました。地味だと思われがちな反復練習の積み重ねが、成長するための一番の近道だと思っています。中学、高校と練習は厳しかったですが、何よりもバレーボールが楽しかったので、苦にはなりませんでした。今でもその気持ちは変わりません。
7年4月から早稲田大学に通いながら、SV.LEAGUE(リーグ)*4に所属する東京グレートベアーズの強化育成選手としてプレーしています。大学のバレーボール部とプロチームの両方に所属することに最初は迷いもありましたが、自分の可能性を広げるためにも挑戦したい気持ちが強く、この道を選びました。大学の部活動でも東京グレートベアーズでも、多くの仲間や指導者に恵まれて、いろいろな環境でプレーすることができています。今は自分の基礎を固める大事な時期だと思っています。

© TOKYO GREAT BEARS
6年11月に強化育成選手として東京グレートベアーズに入団してから一年が過ぎました。チームでの練習はスピードもパワーも一段上のレベルで、最初はついていくだけで精一杯でした。でも、SV.LEAGUEで活躍する選手たちがどんな姿勢でバレーボールに向き合っているのかを間近で見られることが大きな刺激になっています。大学での試合と並行して活動するのは大変ですが、その分、学ぶことも多く、自分のプレーに新しい発見がある毎日です。
高校卒業を前にした7年1月には、日本バレーボール協会の強化選手として、イタリア1部リーグ・セリエAへの海外派遣も経験させていただきました。言葉も分からない環境の中で、ナショナルチームの選手たちと一緒に練習できたのは大きな財産でした。体の大きさ、筋力、パワー、すべてが違う。自分の小ささを痛感しましたが、その分、課題が明確になりました。世界で戦うには、もっと体を強くしなければいけないと気づけたことは大きかったです。
昨年は、「2025年度男子日本代表チーム登録メンバー」にも選ばれ、日の丸のユニフォームに袖を通したときは本当にうれしかったです。代表の練習の雰囲気を肌で感じて、「自分もここで戦いたい」という思いが強くなりました。自分の通用するプレー、まだ足りない部分を冷静に見つめる機会にもなりました。
僕のバレーボール人生の原点は、渕江中学校です。あの体育館で過ごした3年間が、今の自分につながっています。そこで出会った仲間や先生方、そして地域の環境が今の自分をつくってくれました。足立区は暮らしやすく、人も温かい。今でも地元を歩けば「大きいね!」などと親しみがこもった声をかけてもらえることもあり、そうした何気ないやりとりもうれしく感じますし、それも力になります。

バレーボール選手としての目標は、日本代表の核となる選手になること。日本代表選手としてプレーするだけでなく、オリンピックなどの世界大会の舞台でメダルを取り、その中心で活躍したい。そのために、今はフィジカル面を徹底的に鍛えています。現在の僕の身長は197cmと、バレーボール界でも長身な方ですが、ジャンプ力やパワーがまだまだ足りません。「大きくて動ける選手」、それが現在の目標です。どんな相手にも引けを取らない、強くてしなやかな体をつくっていきたいと思っています。
足立区で育った自分が、日本代表として活躍することができれば、地元の力になれるのではないかと思っています。そのために、まずは自分自身がバレーボールを心から楽しむこと。そして、自分の活躍を応援してくれる方々や、バレーボールをプレーしている子どもたちに、勇気や希望を届ける選手になりたいです。足立区から夢を追いかけた自分だからこそ伝えられるものがあると信じ、これからも一歩ずつ前に進んでいきます。
|
サイン色紙&東京グレートベアーズホームゲームペアチケットやサインボールが当たる!
|
|
|
川野 琢磨[かわのたくま](19歳) 平成18年生まれ。6歳のときにバレーボールを始める。区立渕江中学校の男子バレーボール部に所属し、全日本中学校選手権大会優勝。東京都代表に選出され、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)優勝に貢献した。その後、駿台学園高校に進学し、JVA全日本バレーボール高等学校選手権大会3連覇。高校3年生では、全国3冠を達成した。6年11月に東京グレートベアーズに強化育成選手として入団することが発表され、7年1月には(公財)日本バレーボール協会の強化選手としてイタリアへ派遣された。4月から早稲田大学に進学し、バレーボール部に所属。黒鷲旗全日本選抜大会での初優勝に貢献し、最優秀新人賞を受賞。12月に行われた全日本バレーボール大学男子選手権大会では、優勝・ベストブロッカー賞を受賞した。 |
※インタビューの内容などは、取材当時のものです。
お問い合わせ
このページに知りたい情報がない場合は