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公開日:2022年1月1日 更新日:2022年1月1日

新春特別インタビュー「アドゥ ブライト 健太選手」

新春特別インタビュー「一日一歩」アドゥ ブライト 健太選手

 

 

子どもたちに勇気を与えられる選手になりたい

アドゥ ブライト 健太選手は、令和3年のプロ野球ドラフト会議にて、中日ドラゴンズから1位指名を受けた期待の選手です。足立区の出身で「地元が大好き」と語るブライト選手に、足立区で過ごした少年時代の思い出や、これからの目標を聞きました。

 

 

原点、足立区

昔は外で遊ぶのが大好きで、公園に行ったら食事も忘れてずっと遊んでいるような、わんぱくな少年でした。よく弘道いこい公園に行って、カラーボールで野球をやったり、サッカーをやったり、ブランコに乗ったりして遊んでいました。

原点、足立区足立区はビルが多いわけではないけど、田舎すぎるわけでもなくて、そういう下町の雰囲気がすごく好きなんです。思い出の場所はたくさんありますが、よく行っていた店をあげれば五反野駅前にある中華屋の珍来とか、ラーメン屋のせい家にはしょっちゅう行ってました。チャーハンとか餃子とかラーメンを大盛りにして。今でも実家に帰るときにはよく行ってますし、思い出の味です。

小さい頃は周りと肌の色が違うということで、横目で見られるのが嫌だというのは正直ありました。相手に悪気があったわけではないとは思うんですけど。ただ、ガーナ出身の父のことはすごく尊敬してましたし、黒人のスポーツ選手のことも好きだったので、人種に関してそこまで思い悩むことは無かったです。周りの友人たちが肌の色とか関係なく僕のことを受け入れて、仲良くしてくれたからっていうのもあるのかもしれません。そういう寛容さも足立区の良さだと思っています。

今の自分があるのは

野球を始める前は柔道をやっていたんですけど、小学6年生くらいのときに柔道の他に何か新しいことを始めたいと思って。野球をやっている友達が多かったことや野球経験があった父の影響で野球を始めました。野球を始めてから少しの間は柔道と並行してやっていたんですけど、だんだんと両立することが難しくなってきて。当時は野球の方に気持ちが傾いていたっていうのがあったので、すんなり野球一本に絞ることができました。

今の自分があるのは中学校時代は部活とシニアリーグのクラブ(シニアクラーク)の掛け持ちで野球をやっていましたが、実は反抗期で野球から離れた時期がありました。とても手のかかる生徒だったとは思いますが、中学校の先生たちは自分を見捨てず、親身になって相談に乗ってくれました。中学のときの先生がいなければ今の自分はいないと思います。野球部の友達が学校でもいろいろ声をかけてくれたので、もう一度野球をやろうと思うことができました。本当にいい仲間に恵まれたと思います。

中学校の野球部はあまり強くありませんでしたが、厳しい練習メニューでもみんなで「一緒に頑張ろう」と助け合って一生懸命練習をして、自分たちの代では都大会のベスト4までいきました。すごく思い出深い出来事です。

多くの人の支えがあったから

高校に進学するときに地元から離れた野球の強豪校を選ばず、都立の高校に進学した理由は2つあります。1つは地元が好きですし、仲間も好きなので、足立区から出るという考えにならなかったこと。もう1つは肩を痛めていたことです。当時は野球をやめることも考えていて、特待生の話を断っていたんです。投げることが一番得意だったので、それができなくなって不安でした。

そんな怪我や不安を乗り越えて野球を続けることができたのは、純粋に野球が好きだという気持ちと、応援してくれる人たちの支えのおかげです。両親だったり弟だったり、地元の友達も自分が野球をやっている姿をすごく喜んで応援してくれたので、それが自分の中で支えになっていました。

高校は強豪校というわけではなかったけど、それでも自分たちで厳しく、上を目指してやっていました。外野を守るようになったのもこのころです。もともと肩の怪我があったのでファーストをやっていたんですけど、ファーストでは自分の足の速さを活かせなかったことと、肩の怪我が良くなってきたタイミングで監督から「外野をやってみないか」と声をかけてもらったこともあって、それで外野手になりました。大会での上位進出は叶いませんでしたが、高校野球をやっているうちに大学では全国レベルの環境でやりたいと思うようになっていきました。

多くの人の支えがあったから

戸惑い、逃げ出したこともあった

戸惑い、逃げ出したこともあった野球の強豪校である上武大学(群馬県)に進学したら、環境がかなり変わりました。地元から離れて寮生活になったこともそうですし、部員も多く、上下関係も厳しくて練習もきついので、最初はすごく苦労しました。自分の野球が通用しないと思って、一度寮を抜け出して実家に帰ったことがあったんです。そのとき、自分たちの代のキャプテンや仲のいいチームメイトが実家まで来てくれて、「将来4番を打つんだから帰ってこい」と言ってくれて。それでもう一度やろうと決心しました。

自分の人生の転機となるときは、いつも仲間の存在があります。仲間に救ってもらったり、アドバイスやアイデアをもらったりして、野球が上手くなってきたので、自分にとって仲間はすごく大事な存在です。

4年生になって良い結果を残すことができたのは、しっかり間をつくって打つようになったことと、最上級生になって「自分が打つしかない」という気持ちを強く持つようになったことが要因だと思います。しかし、それよりも大きかったのは、中々結果が出ないなかでも自分のやるべきことを着実にやってこられたことです。自分の感覚としてはいきなり野球が上手くなったのではなくて、今まで取り組んできたことが少しずつ形になってきて、それが春の大会で出たのかなと思います。

夢をただ漠然とした夢に終わらせない

誰にでも上手くいかなかったり、挫折しそうになったりすることはあると思います。そんなとき自分は逆算して考えるようにしています。なりたい自分を想像して、それに向かってどういう取り組みをすればめざす自分になれるかを考える。夢をただ漠然と夢にしないというか、どういう取り組みをしたらそこに近づけるのかを考えることによって、目標が少し現実的に見えてきます。自分はそういったやり方でモチベーションを保ってきました。

夢をただ漠然とした夢に終わらせない

野球に限らず、すべてのことにおいて一日で急成長することは中々ないので、自分は「一日一歩」という言葉を大事にしています。小さなことを着実に積み重ねていくことがすごく大事だと思いますし、その一歩一歩の積み重ねが春のリーグ戦や大学選手権の結果につながったと思っています。

夢に見ていたプロの世界にいくことができるので、すごく楽しみにしている部分もありますが、今の自分の力では通用しないことも分かっていて、不安な気持ちもあります。でも、日本で一番レベルの高い環境で野球をすることができるので、とことん楽しんでやろうと思っています。

もちろん活躍することが大きな目標ですが、それ以上に見てくれる方に楽しんでいただけるような選手になりたいです。自分の中で一番の目標というか、憧れている選手がジャッキー・ロビンソンという黒人で初めてメジャーリーガーになった選手で、その人生が映画にもなった人なんですけど、人としても野球人としても素晴らしくて。自分自身、とても勇気をもらったんです。自分もあんな選手になって、ファンや野球が好きな子どもたちに勇気を与えられるような選手になりたいです。

 

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アドゥ ブライト 健太

アドゥ ブライト 健太(けんた)
平成11年生まれ。区立弘道第一小学校6年生のときに軟式野球を始め、区立第十一中学校では野球部と併せて軟式野球チームの「シニアクラーク」に所属。都立葛飾野高等学校で一塁手としてプレーし、上武大学に進学。4年生の春から外野のレギュラーとなり、春のリーグ戦では打率.380、3本塁打、12打点の活躍でチームをリーグ優勝に導きMVPを獲得。全日本大学選手権でも2本塁打でベスト4入りに貢献した。令和3年のドラフト会議にて、中日ドラゴンズから1位指名を受けた。184cm、88kg、右投げ右打ち、外野手。

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