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公開日:2021年1月1日 更新日:2021年1月1日

新春特別インタビュー「笑ふ門には福来たる!」

新春特別インタビュー「笑ふ門には福来たる!」林家一門真打・林家たけ平師匠

かたちで表せない「情」でみんなが幸せになれる。それが足立区。

生まれ育った足立区で、落語に邁進20年。林家一門真打・林家たけ平師匠。今年は足立区が大きく変わる飛躍の年。「足立が生んだ語りの名人」に、幼少期の思い出などを交えながら、未来への新たな期待をお話しいただきました。

 

林家たけ平師匠 小噺動画

【あだち広報 新春特別企画】新春小話(Youtubeへリンク)

令和3年あだち広報1月1日号の特別企画として、林家一門真打・林家たけ平師匠による新春小話をご披露いただきました。
ぜひご覧ください。

 

少年時代に見た足立の原風景

たけ平師匠は昭和52年生まれ。梅島第二小学校、第四中学校出身。梅田生まれの梅島育ち。今も区内に住まいがあり、これからも足立区以外で暮らすことはないと断言するほど「足立愛」に溢れている

林家たけ平師匠(ギャラクシティにて)

 

子ども時代は近所でもっぱら外遊び

少年時代に見た足立の原風景小学生のころは一年中半ズボンで外遊びしていましたね。缶蹴り、ドロケイ※1とか。それと、浅草なんかに比べると整備されていない下町だから路地が多くて、道路に蝋石(ろうせき)※2やチョークでめちゃくちゃ絵が描いてあったじゃないですか。ケンケンパとかさ。あれが子どものころ見ていた風景ですし、そういう遊びをしていました。

毎週金曜日の1時間目の前に「昔の遊び集会」っていうホームルームみたいなものがあって、メンコとかコマとか、昭和30・40年代ころの遊びをやっていたのを覚えていますよ。メンコは給食で出る牛乳キャップを集めて、それをペインティングして作っていました。集めた牛乳キャップを机に入れているとすごく臭くなるんですけど、なぜかそういうのは先生に怒られなかったですね(笑)。

  • ※1…泥棒と警察に分かれて行う鬼ごっこ
  • ※2…蝋のように半透明で、軟らかい石

 

 

昔ながらの暮らしが残っていた、下町ならではの思い出

少年時代のたけ平師匠僕の家だけかもしれないですけど、よく覚えているのは、毎朝ドジョウ売りのおじさんが来たこと。僕ら世代で、ドジョウ売りを見たことのある人って少ないですよ。オートバイに大きな箱つけて、中にアサリとシジミが入っている。上の箱を取ると下にドジョウが入っていて、うちはドジョウを買っていたんです。その次にラッパ鳴らしながら豆腐屋が来るので、豆腐も買うんです。それで、煮立った鍋に豆腐を入れて、ぶくぶくなったらドジョウを入れる。すげえ熱いから、ドジョウは熱さから逃げようとして豆腐に顔突っ込むんですけど、そうすると豆腐が良い感じに崩れるんです。小学生のときは毎朝そのドジョウ食べて出かけていましたよ。でも中学生になったらそのおじさんが来なくなった。そのときに「ドジョウロス」になっちゃってさ。町屋まで買いに行きましたよ(笑)。

そのころは行商もよく見かけましたね。大きなカゴを担いだおばあさんが手ぬぐい巻いて常磐線や京成線に乗って、多分茨城や千葉からじゃないかな、野菜とか干し芋を売りに訪ねて来ていました。当時、常磐線と京成線は行商専用車両っていうのがあったんですよね。今の女性専用車両みたいに。行商から買うとすごく高いんだけど、せっかく来てくれたからってみんな買うんですよ。落語の登場人物のような情の厚い人が多かったんですね。そんな人ばかり。干し芋買って、うちのストーブで焼いて食べていたのを覚えています。

 

子どものころは北千住まで行くのは旅行だった

このころは、遊び場が家の周辺で、商店街も近所にあったし遠くても西新井や五反野まで行けば生活に必要なものは全部揃う環境だったから、北千住に出かけるなんてかなり挑戦的でしたよ。当時から北千住は栄えていたし、そのころに北千住にあったイトーヨーカードーは家族で「お出かけ」として行く場所でしたから。「今日は北千住に行くよ」って言われたら、旅行に行く感覚なんですよ。北千住でそれだから、上野って言ったらもうすごいですよ。正式な格好で行かないと!(笑)

他の区から見ると足立区のイメージは、ガラの悪い場所なもんだから、渋谷区の高校に通っていたころは、友達にどこに住んでいるのって聞かれたら「上野あたり」って言っていました。嘘ではないですから(笑)。北野たけしさんが足立区について話すエピソードって区以外の人は結構誇張したネタだと思っているけど、そのままの事実ですからね。生き方がね、たくましい人ばかり。足立区民にしてみたらそうだよねって納得する話ばかりです。そのころと比べると今はきれいになりましたよね、人も街並みも。足立区に新しい人が多く入居してきたってこともあるんでしょうね。旧足立区民は良く言えば個性的って言うか人間臭いというか、そんな印象が強い。優しさがぶっきらぼうで、ぶん殴ってから慰めるみたいな。悪気はないけど口が悪いし、情だけで行動しちゃって論理が後からくる。良く言えば、人と人とのつきあいが深くて情が厚いってことなんですけど。近所で知らないおじさんに叱られたり注意されるなんて当たり前でした。その理由がおじさんの方が年上で偉いからってわけ。当時は地域に叱ってくれる人がいましたよね。

 

落語の世界に魅了されたわけ

ふらっと立ち寄った寄席を機に落語の世界へ。修業時代は、古典落語を学ぶ上で下町育ちが大いに役立つことに

落語の世界に魅了されたわけ

こぶ平(現正蔵)師匠の落語と出会い、落語家の道へ

22歳まで塾の先生をしていたんです。その当時、上野に映画を観に行ったら間抜けに時間が合わなかった。もったいないなと思って、演芸場にふらっと入った。それがきっかけ。あのとき映画を見ることができていたら、多分まだ塾の先生していますよ。会社に不満なんか全然なかったですもん。そのとき演芸場に出ていたのが「こぶ平(現正蔵)」で、しかも代演(急病などで降板した演者の代わり)。だからプログラムに載っていなかったんです。当時テレビにもよく出ていた人が急に出てきて、袴で古典※3やっているんですよ。すごく分かりやすい落語でした。あ、初心者が聞いてもこんなに感じるものがあるんだなと思いましたね。

扇子と手ぬぐいだけで表現するその世界観が僕は好きで、これで人が笑顔になってくれることがすごいと思いましたね。でも入門するときは何回も断られましたよ。上野の根岸にある自宅まで通いましたね。行く度に断られるんですけど、もう仕事辞めちゃってるからとってくれなきゃ困るのよ、こっちは。で、結局、最後は女将の海老名香葉子(えびなかよこ )※4が入門の許可をくれてこぶ平の弟子になれたんです。今考えると当時のこぶ平は38歳だから、そりゃ弟子をとる年じゃないですよね。やっとのことで、入門するときは師匠に「僕は生き方しか見せられないからね」って言われました。そしたらほんとに生き方しか見せてくれなかったですけどね(笑)。一番弟子になって名前を付けてもらうんですけど、それを決めてくれたのも女将さんでした。本名が武史(たけし)っていうんで「じゃあ、『たけ平』ね」って。

  • ※3…一般に江戸時代~明治・大正時代にかけて作られた落語
  • ※4…初代林家三平の妻として、夫の死後も一門の中心として活動する

落語の世界に違和感がないのは下町育ちだから

落語って下町の話しかないから、悪気はないけど口が悪い(下町言葉で話す)わけです。それってね、学ぼうと思って学べるものじゃない。今の若い子たちは口の悪い稽古をしなくちゃいけないんですよ。偶然だけど、僕は下町の話し方に慣れていた。それに、落語って9割古典だから、ドジョウやアサリを売りに来る話があるんですよね。そうすると風景が自然と頭に浮かぶんです。僕の家では、風呂を沸かすことを「風呂を建てる」と言っていたんです。建設するって意味で。そのぐらい昔は内風呂が貴重で大事なものだったんですよね。この言葉を普段の会話ではもう聞くこともないから使わねぇなと思っていたんですけど、落語家になって奇しくも使うようになったわけです。言葉とか、落語の世界観を学ぶのには苦労はなかったですね。僕にとっては、「足立区=落語の世界」っていう感じです。

落語の世界に違和感がないのは下町育ちだから昔に比べて若い人は落語に触れる機会が少ないから、落語家の弟子になる人って大学で落研に入っていた子がほとんどですよね。最近は女性の落語家も結構いて、林家一門にも僕と同じ足立区出身で妹弟子の林家なな子がいます。女性が落語をやるとなると、なかなか大変な面はあると思いますよ。落語自体が男性目線で作られていますから。古典落語の中身は変えられないですからね。ただ、動物や子どもが出てくる話は女性が話すとかわいい。男よりうまいなと思いますね。

 

 

かたちとして見せられない「情」を大事に

文教大学や大学病院の誘致、竹ノ塚駅高架化でますます変わる足立区。だからこそ残して欲しいものがある。落語を通じて区との関わりも多い師匠。現在の区への想いや未来への期待も語ってくれた

かたちとして見せられない「情」を大事に

今も昔も変わらないもの

足立区は新しいものと古いものが共存できているじゃないですか。足立区に越してくる人が多くなって、住みやすくきれいになったけど、昔の足立区らしさも残っている。両方共存しているところが良いですよね。どんなに新しく変わっても足立区民の心は変わらない、変われないんですよね。それが良いバランスになっていると思います。ただ、残念なのは古い街並みや文化が消えてしまっているということ。もっとね、古いものも残しておいてほしい。北千住の柳町辺りに昔の遊郭の跡がいっぱいあったんですよ。あれ全部壊して老人施設になったでしょ。それも大切だと思うけど、文化歴史も大事に残して欲しいという想いもあります。立て看板とかでもいいんですけど、こういうものがありましたっていうのがあると嬉しいですね。

それと、まちが変わっても人と人との情っていうのかな、それは未来ずーっと持っていて欲しい。落語の心っていうのがそうなんだけど、かたちとして見えないものがすごく大事なんですよ。「これです」って見せられない。心の情もそうですよね。情がないと人と関わらなくなる。情があるから笑顔でいられるんですよ。

方々(ほうぼう) の学校を公演で回るじゃないですか、そうすっとね、足立区の子どもは元気でよく笑う。足立区の小学校でうけなかったら落語家やめた方が良いっていうくらい笑う。あと、みんな人懐っこくて、知らない子でもすごいしゃべりかけてくる(笑)。たぶん大人と普通に話せるのは地域との情のある関わりが強いからでしょうね。もう一つ特徴的なのは、学校の関連行事に親や地域が協力的なこと。PTAとか決まりやすいから、足立区の学校の先生は他の学校の先生に比べて楽なんじゃないかなと思います。学校寄席とか行くとPTAの方が楽屋の準備とかやってくれていてすごいなと思いますし。

かたちで表すことができないもので、みんなが幸せになることができる区なんだよね。それはこれからも大事にしてほしいですね。

人生に無駄はない

つらい期間があってもそれは長い人生の一時。そしてどんな時間も無駄にはならない。そう思えばいろんなことを乗り越えられる

人生に無駄はない

落語だと修業期間の4年間はすごくきつかった。でもそのつらい期間って人生の中で、たった4年なんですよね。そう思えば乗り越えられる。それに、人生に無駄なものはないと思っています。お茶を飲んでいるときも寝ているときも。昔会ったドジョウ売りも、ふらっと入った演芸場も、修業の4年間も、コロナで外出できない今の時間も無駄じゃない。そう思えるのは人間だけだし、人間としての誇りを持って欲しいと思いますね。

「好きなものは念ずれば花開く」という言葉が好きで、絶対叶うんですよ。今じゃないかもしれないけど、10年20年してどっかで関わったりするもんなんですよね。だから、諦めないことが大事。

僕は、落語は一期一会だと思っている。林家一門に入って誇りに思うのは「分かりやすい落語」を大事にしていることです。僕がこぶ平(現正蔵)の落語を観て感じるものがあったように、自分が落語家になったら、初めて観る人にも一度で分かってもらえるような落語をやろうと思っています。この気持ちは真打ちになった今も変わりません。例えば、落語好きな人がチケットを2枚取っちゃって、その1枚で落語初心者が観に来たとするでしょ。そのとき観た落語によっては二度と観なくなるかもしれない。落語好きな人が「どうだった?」って聞いて「うーん、よく分からない」となったら、どちらにとっても良くないでしょ。となると、落語をおもしろいと思ってもらえるチャンスはその一度きり。まさに一期一会なんですよね。演芸場なんかは、落語に興味を持って来てくれる人が多いけど、大ホールで寄席を行うときは、興味がある人ない人、いろんな初めての人が来ますでしょ。そんな皆さんに落語の世界に興味を持ってもらうことが大切なんです。正直、伝わることもあれば伝わらないこともある。でも喜んでもらえるよう、一生懸命やらなくちゃいけないと思っています。だからこそ、とにかく分かりやすく「話の世界に入れたな」って思ってもらえる落語を、これからも続けていきたいですね。

 


林家たけ平プロフィール

林家たけ平(はやしや たけへい)

【プロフィール】
昭和52年10月27日生まれ。梅島第二小学校、第四中学校出身。平成13年に林家こぶ平(現正蔵)に弟子入り。平成28年3月に真打ちに昇進。趣味は食べ歩き、懐メロ鑑賞とその研究。たけ平師匠の公演スケジュールなど、くわしくはオフィシャルサイトへ。

 

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