あだち広報テキスト版2022年(令和4年)8月10日第1885号12面

地図でたどるあだちの戦跡

昭和17から20年にかけて日本本土に対して行われた空襲は、足立区にも被害をもたらしました。今号では、区内の関連する史跡などを紹介します。

問い合わせ先・編集協力:(足立区)郷土博物館 電話番号03-3620-9393
参考文献:「東京大空襲・戦災誌」「高射戦史」 など
※昭和22年 新東京区分図 足立区詳細図を加工して作成
※本情報は、参考文献から一部引用などをしたものです。

1.【B29のタイヤ】
昭和20年5月に撃墜され、当時の足立区入谷町に墜落したB29のタイヤ。地元の方が収集し、耕地に立てて現在も保存している。

2.【高射砲陣地】
当時、区内には9カ所の高射砲陣地(そのうち1カ所は途中で照空灯陣地に変更された)があった。保木間には区内最大の口径12センチメートル高射砲6門が配備され、そのうちの1門が令和3年に工事現場から出土。希少性から陸上自衛隊高射学校に移管保存された。


3.【平和と安全の都市宣言記念碑】
平成14年、区制70周年の節目の年に区は「平和で安全な都市であること」を宣言し、記念碑を建てた。

4.【軍需工場地帯】
大谷田や中川は、日立の軍需工場地帯として知られていた。「日立精機(大谷田)」には昭和17年に東条英機(とうじょうひでき)首相(当時)が激励視察に来た記録があり、「日立製作所(中川)」では戦車や自走砲を製造していた。

5.【仲町の家 焼けた門】
空襲で千住は大部分が焼失したものの、「仲町の家(現在、東京藝術大学と区などによるアートプロジェクトの拠点施設として活用されている)」は通用門で奇跡的に焼け止まった。現在も門に炭化した木材が残っている。

6.【B29無名戦士慰霊碑】
慈眼寺に建てられたB29搭乗員の慰霊碑。境内に鳩と地球をモチーフにした石の彫刻と、平和祈念の石碑がある。撃墜されたB29の搭乗員を「無名戦士」とよび、「無名戦士を弔ふ」と記されている。

7.【戦災大ケヤキの切り株】
源長寺の植え込みには空襲で焼けたケヤキの切り株が筒状に残っている。炭化した部分が当時の火勢を物語る。

8.【千住神社の不屈のイチョウと防空壕(ごう)】
千住神社境内神楽殿の近くにあるイチョウは、空襲による火災で一部が炭化しているが生き残った。現在も健在であることから「不屈のイチョウ」という名前がつけられている。
防空壕は、上部と側面がコンクリートの半地下式。足立区では深く掘ると水が出るため、半地下式の防空壕が多かった。


高射砲陣地(敵の爆撃機を迎撃する高射砲の陣地)

・舎人陣地(口径7センチメートル高射砲が6門 レーダー1基)
・保木間第1陣地(口径12センチメートル高射砲が6門 レーダー1基)
・保木間第2陣地 (口径8センチメートル高射砲が6門)
・保木間第3陣地 (口径8センチメートル高射砲が6門)
・梅島陣地(口径7センチメートル高射砲が6門)
・長左衛門陣地(口径7センチメートル高射砲が4門)
・鉄道掩護(えんご)高射部隊 常磐線 荒川橋陣地(高射砲が1門 機関砲が1基)
・鉄道掩護高射部隊 常磐線 隅田川橋陣地(高射砲が1門 機関砲が1基)


照空灯陣地(夜間に飛来する敵機を地上からサーチライトで照らす陣地)

・照空灯陣地(竹ノ塚)※昭和17年段階では高射砲陣地
・照空灯陣地(花畑)
・照空灯陣地(江北橋)


B29などが墜落した地点

・昭和19年12月27日 日本軍機「屠龍(とりゅう)」が、B29へ体当たりし墜落
・昭和20年3月10日 B29墜落
・昭和20年4月13日 B29墜落
・昭和20年5月26日 B29墜落


足立区立郷土博物館
入谷のタイヤと同機体のプロペラの一部などが展示されている。

日本航空機工業株式会社  工場
水上戦闘機の部品を製造していた。


東京大空襲による足立区民犠牲者の追悼式を実施します

■日程=5年4月13日(木曜)■場所=生涯学習センター(学びピア21内) ※くわしくは決まり次第、区のホームページなどでお知らせします。■問い合わせ先=総務係 電話番号03-3880-5821