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公開日:2017年5月8日 更新日:2017年5月8日
※いずれも諸説あり
青井地域は江戸時代以来、12カ村の耕地が入り組み、区画が複雑でした。そのため、戦後の住居表示による新町名を決める際も議論がまとまらず、名前がなかなか決まりませんでした。最終的に各村が「精出耕地(※)」だったこともあり、「精」より「青」、「耕」より「井」をとって、「青井」と命名されました
※…江戸時代の新田開発のときに、各村が荒地を苦労して開拓(精を出して荒野を耕す)したことからこの名がついたといわれている
伝えによると六木は、天正の末期(1590年)ごろに、織田信長の次子・織田信雄に仕えた六騎の武者(※)によって開拓され「六騎村」と呼ばれました。たった六騎の武者とその家族によって開かれた「六騎村」はいつのころからか「六木村」となり、現在に至ります。
※…天野周防守国忠をはじめとする寺島・矢沢・浜中、加藤・武内の六騎の武者と伝えられている
↑六人の武者が、かつて共に戦った仲間を弔うために建てたとされる大光寺(六木三丁目)
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