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公開日:2019年12月23日 更新日:2019年12月23日

挑む、2020。 -東京2020大会特集-

挑む、2020。

東京2020オリンピックへの出場が期待される
「競泳・中村克選手」と「ラグビー・大竹風美子選手」に訊く

 

 

中村克選手 競泳(自由形)

鍛練を自信に変えて、絶対にメダルを獲る。
中村克選手

小5で始めたスイミング。泳ぐことが楽しくて

中村選手(小学5年生当時の写真)きっかけは小学5年生。水泳好きの母が事故でライフセーバーの資格取得を断念することになり、「僕が代わりに泳ごう」と思い、スイミングスクールに通い始めました。練習のない日も「プールに行きたい」と思うほど楽しくて。純粋に泳ぐことを楽しんだ当時の経験が、長く水泳を続けられているベースだと思っています。

その後、中学2年生で足立区へ転居したのをきっかけに、全国のトップ選手が集まる舎人のスクールへ。速い選手が身近にいることがモチベーションになるタイプなので、練習から全力で競える相手のいる環境が本当に嬉しかったです。「1番になってやる!」という気持ちで速い選手に食らいついていたら、100mのタイムが1年で6秒も縮んでいました

 

悔いも残したリオ。次は必ず「楽しみ尽くす」

中村克選手03

2016年に初めて出場したリオオリンピックでは、いい思い出もある反面、悔いも残っています。当時あだち広報でも宣言した「日本人初の47秒台」を初戦で記録しましたが、その後は思うような泳ぎができず、ネガティブになってしまって。すごくもったいなかったと思っています。

 

前回はなかなか心に余裕を持てなかった部分もありますが、今は嬉しさもつらさも、水泳をやっていなければ味わえない貴重な感情だと思えるようになりました。もしオリンピックの舞台でまた泳げるのなら、ずっと笑顔で楽しみ尽くしたいです。

 

たくさんの応援に感謝。勝つ姿を届けたい

この冬は勝負のとき。今年はケガもあり半年ほど納得のいく結果が出せませんでしたが、今は厳しい練習で体を追い込み、かなり乗ってきていると感じています。僕の強みは、「気持ちを乗せることができれば、本当に強く、求めた記録をしっかり出せる」こと。それには当然自信が必要で、結局のところ、「ここまでやったのだから絶対に負けない」と言い切れるまで練習を重ねるしかありません。競泳は自分との戦いで記録がすべて。言い訳は通用しません。「オリンピック出場を勝ち取り、絶対にメダルを獲る」。そう確信できるよう、全力を尽くしています。

中村克選手04

最近改めて感じるのが、自分はたくさんの人に応援してもらっているということ。オリンピックで勝つ姿を見せることで、皆さんに感謝の気持ちを届けたいです。

 

中村克(ナカムラカツミ)

中村克選手02

1994年2月生まれ(25歳)。183cm、75kg。イトマン東進所属。
100m自由形の現日本記録保持者。高校時代のインターハイ2連覇、大学時代の学生選手権2冠など、学生のころから輝かしい実績を誇る。2015年ジャパンオープン・2016年日本選手権ともに日本記録を更新し優勝。リオデジャネイロオリンピックでは日本人で初めて100m自由形で48秒の壁を破った。

※本記事の内容は令和元年12月25日現在の情報です。

 

大竹風美子選手 ラグビー

相手を抜いて視界から人が消える、その瞬間をオリンピックで。
大竹選手01

 

陸上から転向し、新たに進んだラグビーの道

大竹選手02小さいころから足の速さは誰にも負けなくて、中学・高校は陸上に明け暮れていました。高校最後のインターハイで入賞して、達成感でいっぱいのとき、次の進路として頭に浮かんだのがラグビーでした。というのも、前にバスケの授業で「絶対ゴールを決めなきゃ!」ってとき、ボールを抱えたままダッシュしてしまったことがあって。そのとき授業を担当していたのがラグビー部の先生で、「職員室へ来なさい」と。叱られると思ったら、ラグビー部へのスカウトでした(笑)。少し恥ずかしい経験ですが、それを思い出したのがラグビー転向のきっかけです。

 

「誰かのために」という気持ちが活きる競技

大竹選手04

ラグビー生活で一番忘れられないのが、仲間とともに金メダルを獲得した2018年アジア競技大会。私は「誰かのために」と思うことが力になるタイプで、「仲間のために絶対にメダルを獲る!」と挑んだ結果でした。

7人制は15人制と違って、試合展開がスピーディーでボールがどんどん動きます。一人が頑張っても絶対に勝てない「究極のチームスポーツ」。陸上は個人競技だったので、転向当初は戸惑いもありましたが、今は自分にすごく合っていると思っています。

 

足立区の皆さんに勇気を与えられるプレーを

練習や合宿で忙しい毎日ですが、合間には息抜きで実家に帰ります。地元の駅に降りた瞬間、足立の風を感じてホッとしますね。生まれ育った東京でオリンピックが開催されるなんて、何にも代え難いチャンス。その舞台に立つことを想像し、メダル獲得のために必要とされる選手になれるよう、今以上に努力を重ねていくつもりです。ラグビーでは各選手の地元がすごく盛り上がっていましたよね。「選手に勇気をもらった」と話す人を見て、私も足立区の皆さんに勇気を与えられるようなプレーをしたいと心から思いました

ラグビーをしていて特に好きなのが、相手を抜き、ボールを持った自分の前に誰もいなくなる瞬間。オリンピックに出られたら、陸上で鍛えてきた「スピード」と「フィジカル」でその一瞬に向かって進みたい。皆さんに応援していただけたら嬉しいです!

 大竹選手03

大竹風美子(オオタケフミコ)

大竹選手07

1999年2月生まれ(20歳)。170cm、67kg。
母は日本人、父はナイジェリア人。日本体育大学ラグビー部女子所属。中学で陸上(短距離)を始め、高校で七種競技に転向。東京高校3年生で挑んだインターハイで6位入賞を果たす。その後ラグビーの道へ進むと、すぐに女子7人制ラグビー日本代表の強化合宿に招集され、2018年アジア競技大会では競技歴約1年半でありながら、チーム初となる金メダル獲得に貢献した。

 

※本記事の内容は令和元年12月25日現在の情報です。

 

2人をつなぐキーワード(1)
「足立区立第十四中学校」

同じ中学校出身の二人。大竹選手の在学時、中村選手はすでに卒業していたものの、「卒業生にすごい先輩がいる」と当時からスターだったとか。「同じ中学校出身者が同時にオリンピックに出るってすごい確率だし、そうなれば嬉しい」と中村選手。

2人をつなぐキーワード(2)
舎人公園

「足立区で思い出の場所は?」と聞くと、偶然にも同じ結果に。大竹選手にとっては中学時代に走り込んだつらい経験から「思い出したくない場所(笑)」。中村選手は舎人のスイミングスクール時代、練習後に友人と遊んだ場所なのだそうです。

 

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