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更新日:2014年3月12日

~足立大好きインタビュー~淑徳大学教授 北野大さん

足立区に生まれ育ち、今も足立区に暮らす北野大さん。わかりやすく環境を語る「マー兄ちゃん」、またビートたけしさん(北野武さん)の兄としても知られる。「足立区ありてこそわが人生」と足立区にベタ惚れの北野先生に足立区を聞いた。

「おせっかい」なまち

北野先生インタビュー1

僕は、足立区の島根で生まれ育ちましたが、近所で有名な話があるんです。

うちのオフクロは、男の子は絶対工学部だっていうんで私も兄も弟もみんな工学部に入ったのですが、うちだけじゃなくて近所の子もみんな機械科へ入れちゃったんですよ(笑)。大工の息子も畳屋の息子もね。大工さんの息子は後から建築の専門学校へ行き直したのですけれど。

すぐ裏に男の子5人兄弟がいたのですが、貧しかったので大学へはやれないってことになると「工業高校の機械科へ入れなさい」って言ってね。子どもに機械工学を学ばせるってことが、その子の将来にとって幸せなことだと信じていて、自分の子にいいと思ったことはよその子にも同じように教育したんです。本当にわけへだてがない。『おせっかい』なんですね。

母は子どもが好きでしたから近所の子の面倒も良く見ていて、夏休みにはよくうちに集まってみんなで宿題をやったり、集まった子に、お菓子買って、袋に入れて持たせたりしてました。上級生は下級生の面倒を見ていましたよ。自分たちも、平気でよそのうちでご飯食べたり、風呂へ入ってきたり、してましたね。

昔の親というのは、学校に口も出したけど、それなりの支援もしていました。貧しいですから学校がカーテンを買うお金がない。そうすると学校が生地を買ってきて、オフクロたちが縫うわけです。遠足のときも、子どもの数が多くて先生ひとりで面倒見きれないところ、親がついていって、粗相した子がいたらうちのオフクロがパンツ洗ったりしてましたよ。だから昔の遠足の写真には親が写ってるんです。妹も弟もついてくるわけですね(笑)。そのくらい、家庭が学校教育に協力的でした。ただ、そうするにあたって今と違うのは、学校の先生が極めて尊敬されてたってことです。先生を尊敬するってことは、子どもの教育にとって非常に重要なことです。いつも話すのですが、信頼がなければ教育にならないですよ。特に小中学校では重要です。小中学生の前で、先生の悪口は絶対に言ってはならない。

話がそれましたが、家庭だけでは教えられないことを、学校、そして地域が教えるっていうのが、健全な社会の姿です。僕が子どものころは、近所に厳しいおじさんがいて、「危ないから早く帰れ」だの、銭湯では「体洗ってから湯舟に入らなくちゃダメだ」だの、どこにいても誰かに監視されている、逆にいえば守られている感覚がありましたが、今は、その地域の部分がなくなってきていますね。社会に出ているお母さんが多いので、より地域のちからが必要になってきています。

他人のことも人ごとにしないっていう『おせっかい』。そういう気持ちがあるのが、昔から、足立区のいいところだと思うんです。垣根がないんですね。それは、物理的にも心理的にもね。山の手のように家の周りに塀をめぐらせて「隣は何をする人ぞ」みたいな地域じゃないじゃないですか。道沿いに花を置いたりして、道行く人にも「花を見てください」って感じ、あるでしょ。

口は悪いが腹は良い

たけし

19歳の頃。足立区島根の自宅前で。
物静かだった大さん(左)と対照的に武さん(右)はやんちゃだったそう。

弟の武の才能が花開いたのも、足立区みたいな下町で育ったって土壌があったからだと思います。もちろん間違いなく母親のDNAあってこそだけど、彼の芸っていうのは山の手の芸じゃないですよね。オヤジはペンキ職人で、家一軒建てるには、個人の大工さんが、ブリキ屋から左官屋から、タイル屋、ペンキ屋、鳶…と集めて建てていくわけですよね。雑多な職人の世界で、日曜になると手伝いに借り出されながら、僕らは育った。

職人連中は、口は悪いけど腹は良い。腹の底はあったかいわけです。こんなこと言うのは失礼だけど、教育のある人は、口先ではやさしいこと言うけど、腹の底は冷たかったりしますよね。武の場合、表現は非常にキツイけれど、愛情は深いですよね。育ってきた足立区の下町の環境が、確実に今日の彼の芸の土台にあると思います。

武は、子どものころからガキ大将だったけれど、今も面倒見がいいところは変わらない。だから、たけし軍団で、若いころから弟に世話になった芸人たちが、一流に育ってからもやめないで彼について行ってるのは、弟の人間性だと思いますよ。

下町の3つのキーワード

北野母

昭和36年4月、明治大学入学の頃。
足立区島根の自宅前で、母さきさんと。「マザコンですね」(笑)とはご本人談。

『おせっかい』に加えて、『やせがまん』と『もったいない』。この3つは、うちのオフクロがよく言っていた言葉ですが、下町・足立区のキーワードだと思うんです。

『やせがまん』は下町の美学なんですね。貧乏していたから安いに越したことはないわけだけど、それよりも大事なことは近所の付き合いだってわけです。若干高くても、地元で買って、いい関係をつくろうと。隣近所の密度が高かった。最近は安い大型店に行っちゃって、そういうことが減って来てますよね。経済の原則には反するかもしれないけど、地元で消費するってことが地元の活性化につながりますからね。

『もったいない』って言うのは、我々にとっては当たり前の言葉でしたね。もったいないっていうのを広辞苑で引くと、「そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」って書かれています。もったいないって言葉は英語にはないんですね。だからマータイさんが初めて意味を知って感動して「mottainai」って日本語を使い始めたんですね。

オフクロがよく言ってたけど、魚ほど安いものはないって言うんですよ。板っ子一枚の下は海だって。漁師さんが命かけて獲って来てくれたんだからと。米はその字の通り、八十八回、お百姓さんが手間ひまかけて作ってるものなんだから、一粒たりとも無駄にしちゃいけないよって。だからお弁当のふたを開けたら、ふたについてる飯粒からとって食べる習慣がついてますよ。

飽食の時代になって食品の大量廃棄や、使い捨てみたいなことが普通になっちゃったけど、今の時代になって『もったいない』って言葉が見直されてるわけですね。

『おせっかい』、『やせがまん』、『もったいない』。この3つのキーワードを、足立区から日本中へ広めていったらいいと思うんですよ。こういう地域のちからはなくなってきてはいますが、他と比べると足立区にはまだある。昔は地域が担ってきた部分ですが、リタイアする団塊の世代の力も借りて保っていきたいですね。

以前、ある新聞の取材を受けたときに、足立区に、下町大学、下町学部、下町経済学科をつくってはどうかって話をしたことがあるんですよ。おすそわけの経済学や下町人情、下町のおせっかいなんてのを研究する学部を作ったらどうだなんてね。そうしたら記事を読んだ江戸川区長からご連絡いただいてね。自分の考えていることに近いからって、十年前に『江戸川総合人生大学』ってのができたんですよ。江戸川区は先進的なんですね。十年ずっとそこで学長をやってボランティアでお手伝いしています。足立区のお手伝いは、実は、あまりしてないんですね。燈台下暗し、なんでしょうかね…。

「父から学んだ「働く」ということ

北野先生インタビュー2

オフクロは地元では「ハカセ」ってあだ名をつけられてたくらい、物知りだったし頭も良かった。もう50年あとに生まれていたら、相当な人物になったんじゃないかなんていうのが兄弟の言い分ですよ。ご存知のように我々兄弟にとってオフクロの存在はものすごく大きかったわけだけど、オヤジから学んだこともある。

オヤジは人が良すぎてハラハラさせられ通しだったのは事実なんだけど、オヤジからは「まじめに仕事をする」ってことは教わったんですね。

オヤジは日暮里で北野帽子店って店をやっていたのですが、店つぶして足立区に逃げてきたようで。逃げてきたなんて、足立区には悪いんだけど(笑)。そのあと、足立区で漆職人になったわけです。弓を塗っていたが、需要がなくなってきて、刷毛が使えるからってペンキ屋になった。僕が小学校入ってからだと思うので40過ぎてたでしょうね。小僧から入った職人ではないんですね。職人仲間からは「トーシロー(素人のこと)」なんて言われて、オヤジもつらい思いしたと思うんだけどね。今で言う「転職」ですからね。でも、仕事にかけてはとにかくまじめでしたから、おかげさまで、月に10軒くらいは新築のペンキの仕事があったんです。

高校の頃はよく手伝わされて、それがいやでしたね。夏は屋根で目玉焼きが焼けるくらい暑いし、冬だってとにかく寒い。南側から塗っていくけれど北側も塗らざるを得ませんからね。当時は足場といっても丸太ん棒1本ですからね。雨でも降って濡れればすべって危険だし、とにかくキツい、いわゆる3Kの仕事だったので、オヤジには悪いけど、土曜の夜になると「明日、雨になれ」と願ったものです(笑)。

でもそこで、お金をいただくことがいかに大変かってことを、覚えたわけです。

本来人間は平等なんですが、そんなにつらい目にあって働いても、立場上、お金をくれる側が「上」になるわけです。25日に請求書を持っていって、末日に領収書を持ってお金をいただきに上がるわけだけど、寒いとこでずっと待たされたりしてね。取りに行くことがわかってるんだから用意くらいしておけよって思うのだけれど、何も言えないんですよね、お金をいただく側だから。

ところが僕は今、大学の先生になってからは立場が逆なんですよ。お金を払う側が頭を下げてくれる。恵まれた立場にいるんです。今自分が恵まれてるってことをなぜ意識するかっていうと、学生時代、オヤジの手伝いをしてきたからなんですね。

若いときの苦労は買ってでもしろって、オフクロがよく言ってました。今はその言葉の意味が良くわかります。だから学生にも、アルバイトは、社会を学ぶ手段だってさかんに言ってるんです。

オフクロの洗脳

北野家かぞく
平成元年頃、実家を建替え、正月に兄弟が集まった。
右から母さきさん、大さん、兄の重一さん、弟の武さん。

 

オフクロがよく言ってたけど、貧乏はしたけど、お前たちに惨めな思いをさせたことはないってね。なかなか言えない言葉ですよ。すごい親です。ありがたいって思ってますよ。実際、給食費とか、当時40円だった写真代とか、昔は払えない人もいましたし、遠足代が出せなくて遠足に行けない人もいたけれど、絶対そういう思いはしてないです。

 

そして、「北野家の子どもはできるんだ」って言うんです。まったく根拠はないんです。洗脳ですね(笑)。オフクロはうまいですよ。子どもに自信つけさせるわけです。子どもはできるんだって思い込んで、やんなくちゃなんないっていつも思ってた。中学の頃なんてみんな遊んでたのに、こっちは勉強させられてるわけです。でも、貧しい中で大学へ行くのも大変なのに、博士課程まで行かせてもらったわけですからね。チャンスをくれた親には感謝しています。奨学金もらって、自分なりにがんばってやったって自負もありますが、ありがたいなって思ってますよ。努力できたのは、やはり母の「北野家の子どもは優秀だ」って洗脳があったからかもしれません。弟もあれだけ忙しいのにいまだに第一人者でやってるのは、お金のためじゃないでしょう。プライドなんです。オフクロから授かった、「優秀なんだ」っていうプライドですね。

僕の好きな言葉に「念ずれば花開く」というのがあります。信念を持って努力すれば、いつかは必ず花開くってことです。それは自分の実感なんですね。僕自身は、博士課程を終えたとき大学に残ろうと思ったのだけど席がなくて残れなかったわけです。それで20年間、財団の研究所にいて、いつかは大学の先生になりたかったので、論文を書いたりしてきたのですが、平成6年に、淑徳大学からぜひ来てくれって声かけていただいて。その後、平成18年から明治大学、定年になってからまた淑徳大学と、70過ぎたけどまだ、大学の先生やってるでしょ。

人間には運不運ってものもあるのですが、努力しなけりゃ運は来ないです。運は「運ぶ」って字を書きますが、運び寄せるものなんですね。でもすぐに運べる人と、私みたいに20年かかる人がいる。でもこの20年の経験は決して無駄じゃなかったと思うんです。「どんな経験も無駄な経験はない」というのは僕のもうひとつの人生観です。

すぐに大学の先生になった場合と、財団で20年いてから大学の先生になった場合とを比べると、これは負け惜しみじゃなくて、財団の20年が今日の自分をつくってくれたのかなって思っています。学会で賞をもらったりしたのも財団の20年あってこそですからね。

川と煎餅

土手荒川

荒川は、たくさん思い出のある、懐かしい場所です。弟とカニ捕りをしたり、四中時代にはマラソン大会があって、千住新橋から常磐線、東武線、京成線の下をくぐって走りました。河川敷で区立中学対抗の体育大会なんかやった思い出もあります。あの頃から、十二中は強かったんですね、覚えてますよ。僕は選手でもなんでもなかったからもっぱら応援でしたけどね(笑)。今もたまに時間ができると、サイクリングロードを自転車で走ります。いい空間になっていますね。川があるって、土地にとって大事なことなんです。都市として落ち着きがありますよね。四大文明も川のそばに発達したでしょう。

今住んでいるところからは舎人公園も近いんですが、ここも好きですね。孫が近くにいた頃は良く遊びに行きました。遊具があまりないのがいいですね。都内なのに空間が広いし、草スキーをやったりとか、サイクリングしたりとか。いずれリタイアしたら、散歩コースにもいいなって思ってます。

地元でよく行く飲食店もありますが、行けば見つかるのでわずらわしいなと思うこともあります。でも、いいところは、挨拶してくれたり、知らない間にビールが届いて「あちらさんからです」なんてことも。山の手では見て見ぬふりですが、こちらでは「あ、先生、見てますよ!」なんて声かけてくれる。これも、先ほどの話と同じで、垣根がないっていうね。

あと、足立の名物といえばお煎餅ではないでしょうか。店も多いし、天日干しだとか、ゴマ入れたり海苔巻いたりは邪道だ、なんてね。煎餅はしょうゆだけで、生地で勝負だなんていう煎餅屋のこだわりがあります。僕もよくお遣い物に煎餅を買いますよ。

好きになるということ

足立区の職員の皆さんには、まず、足立区を好きになって欲しいですね。職員が好きにならないと、ろくな仕事できないですよ。僕は、教員をやっていて、うちの学生を息子、娘、と思ってるんですよ。だから一生懸命教えるし、叱るときは本気で叱りますよ。息子や娘ですからね。だから、うちの学生が就職していく企業の方にも同じことをお願いするんです。

もうひとつは、自分のために仕事するってことも大事です。自分のためにがんばることが、足立区のためになる。

あと、余計なことのようですが、どこからいただいているお給料で自分は生きているのかっていうことを考えて欲しいってことです。僕は淑徳大学からいただいているお金で飯食ってると思ってるから、「淑徳命」って言ってるわけです。だから足立区の職員の皆さんも、「足立区命」ってなってほしいです。

僕にとって足立区は、生まれ育った場所で、足立区に世話になってきたからこそ今日がある。生まれた島根からは引っ越しましたが、今も伊興です。「足立区ありてこそわが人生」だと思ってる。オフクロも同じ意識だったと思います。

インタビュー3

淑徳大学 北野研究室にて<談2013年11月28日>

きたの・まさる

淑徳大学教授。専門は環境化学。教壇に立つかたわら、テレビ番組ではコメンテーターとして活躍。著書多数。昭和17年足立区島根に4人兄弟の次男として生まれる。弟は北野武氏。足立区での家族の暮らしぶりは、両親に焦点を当てた武氏の小説、ドラマ『菊次郎とさき』でも知られる。

著名人が語る!足立大好きインタビュー

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