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更新日:2012年2月1日

五色桜のなりたちをご存知でしたか?

明治30年(1897年)ごろから大正時代にかけて、荒川堤(※1)は東京でも有数の桜の名所でした。色とりどりの五色桜は、当時の新聞に「一望彩雲」とも「荒川堤の五色の盛装」とも、称えられました。煙害や戦後薪(まき)として伐採(ばっさい)され絶滅してしまったことは大変惜しまれますが、現在「緑のオーナー制度」などを活用してその復活をめざしています。

そもそもなぜ荒川堤に多種類の里桜がまとまって植栽されたのか、足立区教育委員会発行の『足立史談』527号にその理由が記されているのをみつけました。「江北村の歴史を伝える会」の木村繁さんによる「昭代楽事」に関する報告です。

「昭代楽事」とは、明治24年4月、3,225本の荒川堤の里桜並木の完成を祝して出版された記念誌で、この中に植樹の経緯が記されています。それによると「当時は明治17年の朝鮮での戦い(政変)(※2)、国内での氾濫(はんらん)事件など世情が不安定であった時代で、明治18年の洪水で熊谷堤が荒れてしまったことに落胆し苦慮していた江北村の人々は、桜を植え、しかも小金井や墨田の桜並木に負けないようと努力し…」とあります。

明治18年の大洪水とは、江戸時代以来落ちたことのなかった千住大橋が流失、足立では多くの家が浸水し、下町で救助を要した人が1万人という大災害でした。家屋が沈み、稲が腐るなどの大打撃を受けた江北村の村民たちの思いは想像できます。五色桜は、生きるための希望を託した証であると同時に、絶望のあまり気持ちがばらばらになりかけている村民の気持ちをひとつにまとめる絆だったのかもしれません。

今年は、荒川の五色桜が海を渡ってワシントンに植樹されてからちょうど100年目の年にあたります。このため100周年にあわせた桜100本の植樹や、その昔、付近に五色桜の植えられていた神領堀(じんりょうぼり)のめがね橋や熊の木の圦(いり)の復活・整備などを考えています。私たちの代では無理かも知れませんが、近い将来、桜の名所として復活することをめざして、1本また1本と植樹を進めてまいります。ぜひオーナーとしてご協力お願いいたします。

※1…桜の名所になった「荒川堤」で用いられている「荒川」は、昭和40(1965)年以前の現隅田川の名称です。現在の荒川は、昭和40年以前「荒川放水路」でした。桜の名所になっているのは千住から現鹿浜付近で、とくに五色桜は現在の江北橋周辺から新芝川にかけて植樹された範囲になります。

※2…明治17年の朝鮮での戦い=甲申政変(朝鮮事件)という李氏朝鮮でのクーデター。

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