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公開日:2016年6月6日 更新日:2016年6月6日

千住と江ノ島をつなぐ縁は?

江ノ島青銅鳥居

【「大千住 村野屋与兵エ」と刻まれた江ノ島青銅鳥居】

 ネットで御朱印帳のデザインを見て以来、「いつかは訪れてみたい」と思ってきた江ノ島神社。その江ノ島の入り口にある鳥居(文政4年、1821年に再建)に刻まれた奉納者名の中に「大千住 村野屋与兵エ」とあるのを知って驚きました。

 平成25年に区立郷土博物館で開催した「大千住展」の際、タイトルになった「大千住(おおせんじゅ)」の名称は明治16年(1883年)読売新聞の記事に登場したのが初と解説されていましたが、この鳥居の発見で、その63年も前の江戸時代からこの名称が使われていたことが明らかになったのです。つまり「大千住」とは近代化で拡大した様子を表現した言葉というより、江戸時代、千住宿に掃部(かもん)宿や小塚原町などが加宿された歴史を表す言葉だったのです。「大江戸」が「江戸っ子」意識を生んだように、「大千住」は「大江戸」に対する豊かな文化を誇った「千住(せんじ)っ子」意識の起源とも考えられる、とは郷土博物館の担当者の弁。

 それにしてもなぜ千住の人が江ノ島に鳥居の奉納を?と疑問に思いますが、当時の江ノ島は、単なる信仰の場所にとどまらず、名だたる文化人が数多く訪れる文化的な場所として有名だったと言います。残念ながら現在「村野屋」について確認することができないため、いきさつははっきりしませんが、当時は富裕な旦那衆の一人だったのかもしれません。

 今後江ノ島へお出かけの機会がある方は、ぜひ入口の鳥居にご注目ください。知らない方に教えて差し上げると、ちょっと自慢できるかもしれません。郷土博物館の学芸員にこの情報をご提供くださったのは「足立史談会」の矢沢幸一朗様です。ありがとうございました。

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