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公開日:2018年12月18日 更新日:2023年7月26日

谷文晁(たにぶんちょう)

宝暦13(1763)年から天保11(1840)年。文人画家。下谷根岸に生まれ。名は正安、文晁。通称は文五郎。父は田安徳川家の家臣で、詩人の谷麓谷(たにろっこく)。

はじめ加藤文麗(かとうぶんれい)のもとで狩野派の画法を学び、以後、中国南宋・北宋画、西洋画等の諸画派を研究して、それらを総合して独自の画法を生み出しました。特に山水画を得意とし、数多くの作品を残しています。天明8(1788)年、26歳の時に田安徳川家に奥詰見習(おくづめみならい)として出仕し、寛政4(1792)年には老中松平定信の近習となっています。

文晁は化政期の江戸画壇を代表し、亀田鵬斎(かめだぼうさい)・酒井抱一(さかいほういつ)・太田南畝(おおたなんぽ)ら当世の文人らとの交流も盛んでした。文化12(1815)年に千住で行われた酒合戦には賓客として参加しています。弟子は非常に多く、渡辺崋山(わたなべかざん)・立原杏所(たちはらきょうしょ)などがいます。


山水図(享和2、1802年)


山水図(文政9、1826年)

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