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公開日:2018年12月18日 更新日:2023年7月26日

建部巣兆(たけべそうちょう)

宝暦11(1761)年から文化11(1814)年。千住を代表する文人。姓は建部、名は英親(ひでちか)、字は族父といい、黄雀、東甫、秋香庵(しゅうこうあん)、小蓑庵、菜翁(さいおう)とも号しました。化政期を代表する俳諧宗匠(はいかいそうしょう)の一人で、書画・俳画に優れた作品を数多く残しています。

江戸日本橋本石町にて書家山本龍斎(やまもとりょうさい)の子として生まれ、寛政年間(1789から1801)の初頭に千住藤沢家の養子となりました。以後、通称を藤沢平右衛門として千住を活動の拠点とした巣兆は、関屋の里に秋香庵を構えて、掃部宿(かもんじゅく)・河原町・橋戸町の人々を中心に構成された俳諧集団「千住連」を率いると同時に、自ら「倭絵師(やまとえし)」と称して多様な表現で書画もあらわしました。

俳人・文人としての巣兆は、夏目成美(なつめせいび)・鈴木道彦(すずきみちひこ)・小林一茶(こばやしいっさ)などをはじめ、南部藩(現岩手県盛岡市)の平野平角(ひらのへいかく)や、本庄(現埼玉県本庄市)の戸谷双烏(とやそうう)など全国各地の俳人たちと交流を持ちつつ、義兄亀田鵬斎(かめだぼうさい)・酒井抱一(さかいほういつ)・大田南畝(おおたなんぽ)など当時の江戸を代表する文化人たちとも盛んに親交を結んでいます。洒脱で酒を嗜み客を愛したという巣兆の人柄は、こうした幅広い交友関係からもうかがえます。


盆踊り図


「春ぞとて」句自画賛


芭蕉図


蛍狩り図


江都名所十二ヶ月 よし原

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