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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日

千住大橋

不落の伝説も持つ名橋です


木造橋時代の千住大橋

 

 

徳川家康の命をうけた伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が奉行となり、文禄2(1593)年に架橋工事が始められ、翌年完成しました。

 

荒川(当時入間川、現隅田川)に架けられた最初の橋であったために完成当初は「大橋」とよばれ、他の橋ができると千住大橋とよぶようになりました。

完成当初の架橋位置は現在よりも2町(約200から220メートル)上流と記録され、天和4(1684)年にいたり現在の位置に確定されたようです。また、記録に残るだけでも8回の架け替えが行われています。橋杭の部材は記録の時期によりヒノキ・マキ・クスノキなどと記されていますが、部材は一種類ではなくさまざまなものが用いられていました。

千住大橋には、架橋以来一度も流失していないという伝説がありますが、実はたびたび危機に見舞われ、明和3(1766)年の流失、安永元(1772)年の大破などの記録があります。最後の流失は明治18(1885)年の洪水の時です。

その後、昭和2(1927)年に現在のアーチ橋に架け替えられました。さらに交通量の増大にともない、昭和48(1973)年に上り専用橋が増設され上り下りの車線に分離されました。


日光御街道千住宿日本無類楠橋杭之風景本願寺行粧之図


建設中の千住大橋(アーチ橋)

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