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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日

見沼代用水


八丁堤の現状

寛永6(1629)年、代官伊奈忠治(いなただはる)の主導で芝川水系の見沼(現さいたま市)に八丁堤(はっちょうづつみ)を築き、見沼溜井(みぬまためい)が造成され、見沼用水東縁(ひがしべり)・同西縁が成立しました。綾瀬川以西の足立区域は見沼用水東縁の流末に位置していました。

見沼代用水は、それまで水源としていた見沼溜井の干拓・新田開発にともない、享保12(1727)年に開削されました。元圦は利根川右岸下中条村(現埼玉県行田市)に設置されました。見沼代用水は足立区に入ると舎人の砂子路橋(しゃごじばし)で神領堀(じんりょうぼり)が分かれ、さらに伊興のはんの木橋付近で西新井堀・本木堀・千住堀・竹塚堀・保木間堀に分かれました。

用水の長距離化によって、給水量の不足と排水時の冠水が発生しやすくなりました。そのため給排水を順調に行うためにさまざまな工夫がされました。番水制(ばんすいせい)もその一つで、当時の渕江領(ふちえりょう)の村々で公平に水を配分するために時間別・村単位で給水時間を取り決めるという方法でした。


見沼代用水元圦跡(埼玉県行田市下中条)


見沼代用水東縁の最末流・1950年ごろのはんの木橋付近

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