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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日
江戸時代以来、足立区は江戸東京の近郊農村でしたが、西新井地区・梅島地区では大正12(1923)年の関東大震災以後、その他の地区でも太平洋戦争が終わった頃から人口が急速に増えはじめました。
人口の増加とともに農村の市街地化が始まり、田畑には家が建ち始め、自動車が細い農道いっぱいに走るようになりました。将来の密集地化による生活環境の悪化を危惧する声も出てきました。そこで、農村の町並みを市街地へと改造する区画整理が各地で行われます。
住民自身が区画整理事業を進める組合を組織して事業を行う組合施行方式や、東京都や日本住宅公団など公営で事業を進める方式がありました。地元で結成された区画整理組合の施行数は東京23区中第1位となっています。土地を出し合うことによって計画的に道路を敷設し、公園、学校、上下水道などが整えられていきました。
また、水害にあうことが多かった地域では、排水路の整備や盛り土をほどこすなど、地盤を市街地に適したものに改造しました。こうして、曲がりくねった細い道は交通に便利なまっすぐな道に変わり、そして、道によって整えられた宅地や田畑が造られ、新しい町が生まれました。
竹ノ塚駅東側の区画整理前(昭和33(1958)年)
竹ノ塚駅東側の区画整理後(昭和44(1969)年)
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