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公開日:2018年12月18日 更新日:2022年2月10日
足立郡の「足」という字が記された国分寺郡名瓦
足立区という地名は「武蔵国足立郡」に由来しています。武蔵国足立郡は大化の改新(645年)の後、中国の制度にならい、全国に国―郡―里(後に郷)を設置したことにはじまります。足立郡は、現在の埼玉県鴻巣市から足立区までの南北に細長い地域で、中央政庁(郡衙)はさいたま市大宮付近にあったと推測されています。
「足立」の文字が確認できる最古の年代は奈良時代の天平7(735)年の長屋王邸出土木簡です。古代の地名は元来1音1字で表記されていましたが、元の語義を無視してでも、良い2文字を当てるように朝廷が推奨するようになりました。「足立」は「阿太知」を当てたものと解されています(「和名類従抄」)。これをみると一説に言われる「葦が立つ」から「あしだち」から「あだち」という転化は考えにくいと思われます。
足立区という区名になったのは昭和7(1932)年10月1日からです。当初「千住区」という案がありましたが、千住以北の南足立郡の人びとがこれに反対し「南足立区」を主張しました。こうして、古代以来の郡名「足立」に決まりました。
足立郡の位置
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