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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日
千葉自胤ゆかりの武州三間田(鐘ヶ淵付近)
千葉氏は下総国千葉荘(しもうさのくにちばのしょう・現千葉県千葉市付近)を本拠とした武士団で、千葉常胤(ちばつねたね)は源頼朝の鎌倉幕府創建に貢献した人物として知られています。享徳3(1454)年に享徳の乱がおこると千葉氏内部で家督争いが起こり、千葉実胤(さねたね)が武蔵国石浜(現荒川区・台東区)、自胤(これたね)が武蔵国赤塚(現板橋区)に逃れました(武蔵千葉氏の誕生)。さらに自胤は渕江郷(現足立区域)に移りました。
戦国時代になると小田原の後北条氏(ごほうじょうし)に従い、渕江郷を中心に13か所475貫文の土地を所領としました。渕江郷は、隣接する舎人郷(足立区舎人付近)に北条氏と対立する岩槻太田氏(いわつきおおたし)配下の舎人氏がいたことから、両勢力の最前線に位置しました。天正18(1590)年に後北条氏が滅ぶと武蔵千葉氏もこの地を去りました。武蔵千葉氏は、現在の本木にあった渕江城を拠点としました。
江戸時代になると城があったことは伝説となり、武蔵千葉氏の守り神であった妙見社(みょうけんしゃ・現中曽根神社)だけが残りました。平成8(1996)年、神社近くの発掘調査によって城の堀跡が見つかり、城の存在が確定されました。
千葉氏の家紋
現在の中曽根神社
地中から現れた城の堀跡
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