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公開日:2018年12月18日 更新日:2018年12月18日
伝足立氏居館跡(埼玉県桶川市)
平安時代の終わり頃、武蔵国各地で武士団が活躍し、足立郡には足立氏一族が勢力を持ちました。治承4(1180)年、源頼朝が平氏打倒のため立ち上がると、足立遠元(あだちとおもと)も下総を経て武蔵に入る頼朝のもとに参じ、軍勢に加わりました。鎌倉幕府創設の功臣として仕え、頼朝の死後は有力御家人13人の合議制の一員に名を連ねました。遠元の息子の元重(もとしげ)は、現在の足立区にあたる渕江を治めていました。
承久3(1221)年に承久の乱がおこると幕府が勝利し、朝廷が西日本に持っていた領地は幕府に味方した武士に与えられました。遠光の子、遠政(遠元の孫)は丹波国佐治庄(現兵庫県丹波市青垣町)に領地を与えられて移りました。足立氏の嫡流は弘安8(1285)年に起きた霜月騒動(しもつきそうどう)で衰退してしまったと考えられますが、丹波に移った足立氏の中には戦国時代まで栄えた者もいました。現在でも兵庫県には「足立」姓が多く残っています。
一方、足立区辺では14世紀終わり頃まで、足立大炊助(あだちおおいのすけ)が石塚村(現栗原周辺)を支配しました。
兵庫県に残る足立氏一族の墓
渕江郷石塚村の地名を今に伝える石塚公園
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