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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日
江戸時代の千住大橋
足立区は1590年(天正18年)に江戸の徳川家康(とくがわいえやす)が所有する土地になりました。
1593年(文禄3年)に、家康は部下の伊奈忠次(いなただつぐ)に命じて隅田川にさいしょの橋として千住大橋をかけました。大橋ができると多くの人たちが千住を通るようになりました。
千住宿の模型
1625年(寛永2年)、千住は日光と江戸をむすぶ日光道中の宿場となり千住宿とよばれるようになりました。
仙台の伊達家や秋田の佐竹家など東北や関東から江戸に向かう大名行列や、多くの旅人でにぎわいを見せました。
★宿場(しゅくば):旅人の宿泊・休憩のために発展した集落のこと。
★伊達家(だてけ):鎌倉時代から江戸時代まで今の宮城県周辺で活やくした武将の一族。
松尾芭蕉の像
松尾芭蕉(まつおばしょう)は、日本でさいしょに俳句をつくった人です。1689年(元禄2年)、芭蕉は俳句をつくる旅を千住から始め、「行春や鳥なき魚の目はなみだ」(ゆくはるや とりなき うおのめはなみだ)という俳句をよみました。
この旅をまとめたのが「おくのほそ道」という本です。このほかはじめて正しい日本地図を作った伊能忠敬や、江戸幕府のかいかくをした松平定信も千住宿のようすを書きのこしています。
★俳句(はいく):季節をあらわす言葉を使いながら、5・7・5のリズムで作る詩のこと。
★伊能忠敬(いのうただたか):江戸時代に日本全国で旅をしながら測量してまわり、日本のただしいすがたを地図としてあらわした。
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