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更新日:2011年4月19日

戦国時代の城跡~武蔵千葉氏と淵江城~

乱れる関東地方

1400年代中ころ、京都の室町幕府から出向き関東を治めた鎌倉公方(かまくらくぼう)と、これを助ける関東管領上杉氏(かんとうかんれいうえすぎし)との間で争いがおこりました。関東の武士も、両派に分かれて合戦をはじめました。下総国(しもうさのくに、千葉県)の千葉氏(ちばし)も、本家と分家が敵味方に分かれ争いました。合戦に敗れた本家の千葉実胤(さねたね)と自胤(これたね)兄弟は家臣を連れ、上杉氏(うえすぎし)と家老(かろう)の太田道灌(おおたどうかん)をたより武蔵国(むさしのくに、埼玉県・東京都・神奈川県の一部)の赤塚城(あかつかじょう、板橋区)と石浜城(いしはまじょう、台東区)に移り住みました。

明らかになった淵江城(ふちえじょう)

現在の中曽根神社

現在の中曽根神社

さらに千葉自胤(ちばこれたね)は、現在の足立区にあたる淵江郷(ふちえごう)に入り、このあたりを治めはじめました。その中心は、現在の本木(もとき)にあった淵江城(ふちえじょう)と呼ばれた城でした。戦国時代には、千葉氏は戦国大名北条氏(ほうじょうし)に従い、引き続きこのあたりを支配しました。北条氏がほろぶと千葉氏も城を立ち去りました。江戸時代には城があったことすら伝説になり、一族の守り神であった妙見社(みょうけんしゃ、現在の中曽根神社(なかそねじんじゃ))が残っただけでした。1996年(平成8年)、この場所を発くつ調査すると、城のほりのあとがみつかり、言い伝えが正しいことがわかりました。

地中から現れた城の堀跡

地中から現れた城の堀跡

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