ホーム > 文化・スポーツ > 足立区立郷土博物館トップページ > 足立を学ぶ|足立区立郷土博物館 > 新田の誕生―村々の誕生と開発人―
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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日
江戸時代になると、戦国時代までに開発が進んでいた足立の西部では、さらに田や畑が作られました。
一方、東部の大部分は土に水を多く含む土地でしたが、江戸時代になると人びとが新たに住みこみ、田畑の開発を進めました。
その結果、新たに20か村におよぶ村々が誕生しました。このように新たに生まれた村を「新田(しんでん)」と呼びます。
新しい村を作った人は開発人(かいはつにん)といいます。
武士だったという掃部新田の石出吉胤(いしでよしたね)、幕府の代官伊奈氏にも仕えた佐野新田の佐野胤信(さのたねのぶ)、岩槻城主の家臣であったという小右衛門新田の渡辺小右衛門(わたなべこえもん)など、戦国時代の武士がいました。
★掃部新田(かもんしんでん):今の千住仲町・千住河原町・千住橋戸町にあたる。
★佐野新田(さのしんでん):今の佐野にあたる。
★小右衛門新田(こえもんしんでん):今の中央本町・島根・梅島にあたる。
佐野新蔵胤信(さのしんぞうたねのぶ)の墓
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