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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日

南足立郡から足立区へー100年間で20倍になった人口ー

人口が増え始める

明治時代をむかえるころ、足立区の大部分はお米や野菜をつくる農村が広がっていました。

1874年(明治7年)の人口はおよそ3万人で、江戸時代とあまりかわらず、今とくらべるととても少ない数でした。このころの足立は東京府南足立郡(とうきょうふみなみあだちぐん)となって千住に郡役所ができ、郡の中に10の町と村ができました。

大正時代になると、数多くの工場や家ができはじめ、人口が急にふえていきました。

1915年(大正4年)にはおよそ5万4千人、1920年(大正14年)にはおよそ8万9千人となりました。

足立区ができる

昭和時代になると人口はさらにふえて、1930年(昭和5年)にはおよそ12万7千人になりました。

1932年(昭和7年)、東京とひとつにまとまり、南足立郡は東京市足立区になり、東京の一部となりました。

1943年(昭和18年)には東京市が東京都となり、今の東京都足立区となりました。

人口はその後もふえつづけ、1950年(昭和25年)にはおよそ26万人、1965年(昭和40年)にはおよそ48万人になりました。

このころまでは農地が広がっていましたが、工場、だん地、家にそのすがたをかえ、1973年(昭和48年)には60万人をこえました。

この数字はおよそ100年前の1874年のやく20倍で、足立が短い間に急にかわったことを物語っています。


最初の足立区役所(昭和時代のはじめ)


1964年(昭和39年)ごろの花畑団地

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