ホーム > 文化・スポーツ > 足立区立郷土博物館トップページ > 足立を学ぶ|足立区立郷土博物館 > 村から町へ―区画整理と地下鉄の開通―
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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日
江戸時代に町になっていた千住などをのぞいて、足立区には田や畑がたくさんありました。
梅島や西新井のあたりでは、1923年(大正12年)におきた関東大震災の後に人口がふえ始めました。
その他の地いきでも、太平洋戦争が終わったころから人口が急にふえだして、田畑に家がたち始めました。また、自動車が細い道のはばいっぱいに走るようになりました。
このような様子を見ていた地いきの人々は、しょうらいの生活がふべんになるのではないかと心配するようになりました。そこで、地いきの人々はみんなが住みやすくなるように区画整理事業(くかくせいりじぎょう)を始めて、町をつくりかえました。
曲がりくねった細い道は、交通にべんりなまっすぐな道にかわりました。そして道によってきれいに整えられた家をたてる土地や田畑がつくられ、新しい町ができあがりました。また、学校や公園などもつくられました。
1958年(昭和33年)の区画整理前の花畑
1969年(昭和44年)の区画整理後の花畑
人口がふえて町が大きくなると、さらに新しい鉄道ができました。
1962年(昭和37年)に地下鉄日比谷線が、1969年(昭和44年)に地下鉄千代田線が開通し、会社や学校に通うのにべんりになりました。
地下鉄日比谷線の開通
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