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公開日:2018年12月18日 更新日:2020年8月8日

鎌倉幕府と武士団ー足立氏一族の活やくー

足立遠元と鎌倉幕府


桶川市にある足立氏居館跡

平安時代の終わりころ、武蔵国のあらゆる所で武士団がかつやくし、足立郡では足立氏一族がいきおいを持ちました。

源頼朝は平氏をたおすために立ち上がると、足立氏の当主、足立遠元(あだちとおもと)もたたかいにくわわりました。頼朝はよろこび、遠元が足立郡をしはいすることをみとめました。

平氏がほろび、頼朝が1192年(建久3年)に朝廷から征夷大将軍ににんめいされ、鎌倉に幕府を開くと、遠元はじゅうような役しょくをまかされました。

★源頼朝(みなもとのよりとも):鎌倉幕府を作った初代の征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)。

★武蔵国(むさしのくに):今の埼玉県・東京都・神奈川県の一部に広がっていた昔の国の名前。

★足立郡(あだちぐん):今の足立区から鴻巣市あたりにあった、昔のちいきの名前。

★朝廷(ちょうてい):君主がせいじを行うそしきのこと。

★幕府(ばくふ):将軍がせいじを行うそしきのこと。

その後の足立氏一族


兵庫県に残る足立氏一族の墓

遠元の一族は、幕府のじゅうような行事にさんかしていました(『吾妻鏡(あづまかがみ)』)。息子の元重は、今の足立区にあたる淵江(ふちえ)をおさめていました。1221年(承久3年)に朝廷は幕府をたおすためたたかいをはじめました(承久の乱)。たたかいは幕府が勝ち、朝廷が西日本に持っていたりょう地は、幕府に味方した武士にあたえられました。足立氏は武蔵国から丹波国に移り、戦国時代までさかえた者もいました。今も兵庫県には「足立」家がたくさんあります。足立区あたりでは1300年代の終わりころまで、足立大炊助(あだちおおいのすけ)が石塚村をしはいしました。

★丹波国(たんばのくに):今の兵庫県にあたる昔の国の名前。

★石塚村(いしづかむら):今の足立区栗原あたりにあった昔の村の名前。

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